【インドネシア発】江戸期の日本人を唸らせた「奇跡の染物」

インドネシアの象徴「バティック」をご存知だろうか? 世界無形遺産にも登録されている染物で、アジアの文化史に大きな影響を与えた。

インドネシアに存在した歴代王朝は、政治史の視点で見れば決して大きな役割を担ったとは言えない。古マタラム朝、シンガサリ朝、マジャパヒト朝、新マタラム朝…。これらの王国の名を聞いたことがある日本人は、あまりいないだろう。

だが文化史の視点から観察したインドネシアは、非常に偉大な功績を残している。その代表がバティックなのだ。

バティック


 

■「奇跡の布」とも

バティック

江戸時代の日本には、ひとつのミステリーがあった。それは「色落ちしない染物」である。

徳川政権下の日本は、オランダと交易していた。このことは日本人としての常識だが、一方でオランダは今のインドネシアに当たる地域を植民地にしていたのだ。すなわち、意図していなかったとはいえ、日本はインドネシアとも交易していたことになる。

バティック

オランダの商船は、インドネシアからさまざまな物品を長崎に運んだ。その中のひとつにあったのが、ジャワ更級。これが、バティックである。

バティック

今でもそうだが、染物というのは洗濯をすれば色落ちする。そのため、晴れ着の材料にするにはいいが、普段着にするには耐久性が足りない。

だが、バティックは洗濯板でこすっても決して染料が剥がれ落ちない。これは日本の染物職人にとって、衝撃的な光景だったのだ。


 

■バティックの今昔

バティック

バティックとは、早い話がロウケツ染めである。模様の型抜きに蝋を使うのだ。

ジャワ島中部の都市ジョグジャカルタは、バティック生産の中心地。ジョグジャカルタ市民は現代でも、バティックで作った服を普段着として活用している。

バティック

江戸期の日本にもたらされたバティックも、ジョグジャカルタ産だ。日本の職人はどうにかバティックをコピーしようとしたが、「色落ちしない」という点だけは鎖国体制の終焉までに完成させることができなかったのである。

日本ではインテリアとしても人気があるバティック。我々の先祖を驚愕させた奇跡の染物は、自由な表現を愛するアーティストたちの手により改良され、今も人々を魅了し続けている。

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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