危険地帯の日本人中学生の日常がガチすぎる【登校編】
みなさんは、学生時代の登校シーンを覚えているだろうか。友達と給食袋をぶつけあったり、当時付き合ってた恋人と手をつないで帰ったり…。
しかし、ひとたび日本を離れた危険地帯ともなると、学校へ行くのも命がけ。そんな経験をした日本人がいるとの情報を聞きつけ、中学時代を当時治安が不安定なパキスタンで過ごしたAさん(20代・男性)に話を聞いた。
■これが究極のエクストリーム登校だ
「私が中学2年生、パキスタンの日本大使館付属の学校に通っていたときのことです。当時パキスタンは政府側と反政府組織の争いが過激化していて、学校に登校するにも、カーテンで完全に締め切ったバスで、毎日少しずつ時間をずらして登下校していました。
とくに当時は治安が不安定だったので、ショットガンを持った警備員7~8人ほどを乗せた護衛車もついてましたね…。中学3年生になると護衛車はなくなりましたけど、代わりにショットガンを持った警備員2人をバスに同乗させていました」
Q.護衛車がなくなって不安にはならなかった?
「いや、そんなに。生徒を乗り降りするときは必ず、警備員1人が先に降りて安全確認をした後『いま○○君を乗せました。異常ありません。どうぞ』みたいな感じで無線で大使館と学校に連絡してくれたし、狙われやすい場所であるビルやマーケット、他国の大使館を通過する度にも連絡してくれたので。
ただ、ドライバーは現地の人で英語しかしゃべれなかったから、大事な無線は日本語で聞いて私が英語に通訳してました(笑)」
Q.登校しているとき、なにか事件に遭いませんでした?
「事件には幸い遭ってないですけど、バスがパンクしたときはバスに待機してたら危ないということで、近くにあった生徒の家に一時待機した、なんてことはありました。
あと、米系のホテルであるマリオットホテルが爆破テロにあったときは大変でした。その日はたまたま日本人学校で盆踊り大会があって、父兄の車で生徒は登下校してたんですけど、もしその日もバスで登下校していたら…。マリオットホテル前は通学路だったので、タイミング次第では危なかったかもしれません」
Q.お友達も無事?
「はい。マリオットホテル内に、近くで唯一といっていい日本食レストランがあって、毎週末学校の友達の家族は誰かしらそこにいるぐらい、みんなよく頻繁に行ってたんですけど、盆踊り大会があったおかげで父兄を含め誰もレストランに行ってなくて。私も父と『来週行こうね』なんて話してたので、本当にラッキーでした」
学校に行く前に、登山や観光などのアクティビティを行なってから登校することを「エクストリーム登校」というが、エクストリームのレベルがまるで違うようだ。
次回は、危険地帯の学校のガチ避難訓練についてお送りする。
(取材・文/しらべぇ編集部・阮)