【川奈まり子の実話系怪談コラム】神隠し(七つまでは神のうち)・前編【第四十一夜】

2016/06/09 21:00

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たった一度だけ、警察に捜索願いを出された経験がある。1973年の5月、小学校1年生のときのことだ。

11月生まれの私は当時6歳で、前月の入学日にあわせて東京都の世田谷区から埼玉県坂戸市北坂戸の公団住宅に引っ越してきたばかりだった。

その日は遠足があり、もうどこへ行ったかは忘れてしまったが、先生方に引率され、バスに乗って同級生たちと遠出をして、午後3時頃に学校に戻ってきて、校庭で解散となった。

バスが小学校に到着した途端、パラパラと小雨が降ってきて、校庭で、先生に「雨具を出しなさい」と指示されたことを憶えている。生徒全員が雨具を着けたところで、解散となった。

私が通っていた小学校は、昭和のその頃に多かったいわゆる「マンモス校」で、1学年におよそ250人も生徒がいた。

大勢の同級生たちに混ざって、私は校庭を出た。

小学校から住んでいる公団住宅まで、その頃の私の足で10分か15分程度の距離だった。

道は単純で、1本の道路を真っ直ぐ歩いていけばよく、道に並行して荒川の支流の土手があったから、土手を目印に行けばいいので、6歳児であっても迷子になるわけがなかった。

ところが、私はどこをどうさまよったものか、なかなか家に帰らなかった。

不安になった母があちこちに電話をかけはじめたのは午後4時頃。小学校にも問い合わせ、学校の先生方が総動員で私を捜す騒ぎとなった。

小1時間もそうやって捜し、あたりが薄暗くなってきてもまだ見つからぬとなって、ついに母が団地のそばの交番に届け出た。


母をはじめ、そのとき大人たちが想起していたのは、遡ること3年、1970年10月17日に東京都台東区で起きた昌男ちゃん誘拐殺人事件だった。

その日、8歳の少年、昌男ちゃんが「遊びに行ってくる」と言って家を出たまま行方不明になり、家族の通報で警察や近隣住民が捜索を行なったが同月30日に遺体で発見された事件である。

その後、逮捕された犯人が別のもう1件の誘拐殺人を自供したため、長期にわたってマスコミを賑わし、人々の記憶にまだ新しかったのだ。


結局のところ、私は午後7時頃、自分のうちの上の階に住む男の子の家にあがりこんでいたところを発見された。

その家にも母は電話をかけていたが、そこのうちの奥さんはパートタイムの仕事に出ていて、6歳の長男を頭に3歳まで3人の子が留守番させられており、皆、電話には出なくてもいいと親から言われていた。

パートから帰ってきたばかりで何も知らないおばさんが私を見て、うちの子たちと一緒に夕ご飯を食べていったらどうかと言い、許しを得るために母に電話をした。

すっ飛んできた母に泣かれたり叱られたり、その後、ほうぼう連れまわされて頭を下げさせられたりしたことを、今でもうすぼんやりと憶えている。


不思議なのは、私が同級生の男の子の家に行ったのは夕方の6時過ぎで、それまで約3時間、どこで何をしていたかさっぱりわからなかったことだ。

団地に住む子たちで集団を作って帰るきまりになっていた。したがって、上の階の男の子とは、毎日いっしょに下校していたのだ。

ところが彼は、その日、校庭を出たときから私の姿を見掛けておらず、先に帰ったものと思っていたのだという。

姿をくらましていた間の私の記憶は曖昧で、薄灰色に曇った雨空を見上げたこと、そして、独りで赤い傘をおちょこにして雨水を溜めて遊んでいたこと……それぐらいしか、どんなに頭の中を浚ってみても、当時も今も、何も浮かんでこない。

ふと気がつくと自分のうちの玄関の前にいて、ドアに鍵がかかっていて入れなかったので、たびたび遊びに行っていた上階の同級生のところへ行った。それだけである。


なぜ、あれから40年以上も経った今、こんな記憶を蘇らせているかというと、最近、当時の私と似たような年頃の少年が行方不明になったのち無事に見つかるという事件があったからだ。


あとあとのために日付を記しておくが、その事件は2016年5月28日の午後5時頃に始まった。

そのとき、同町内の山林を抜ける道の三叉路の近くで、7歳の少年が父親が運転する車から降ろされた。

車には母親も同乗していたが、父親は彼を置き去りして車を走らせた。その前にした酷い悪戯について息子を叱っている最中のことで、「躾のために」そんなことをしたのだった。

約5分後には息子を降ろした場所に戻ったというから、両親は少々きつく懲らしめるぐらいのつもりだったかもしれない。しかし少年は姿を隠し、それきり6昼夜も見つからなかった。

場所は北海道の渡島半島南部、七飯町。ヒグマが生息する地域だという噂もあり、一時は生命も絶望視されたが、6月3日、隣の鹿部町内の自衛隊演習場にある小屋の中にいるところを発見された。

地図上では置き去りにされた三叉路から演習場内の小屋までは7kmほどだというが、道は山の中の林道で足場が良いとは言えず、アップダウンもあり、『北海道新聞』によれば同紙の記者が実際に歩いてみたところ実際には距離にして約10km、大人の足でも約2時間半かかったという。

5、6月とはいえ北海道はまだ肌寒く、ことに夜間は3日午前1時過ぎでは4.6度とだいぶ低い。さらに行方不明になっていた間のうち3日間は雨も降っていた。

しかし、自衛隊演習場の小屋の中にマットレスが複数枚あり、小屋の外には水道の蛇口もあって清潔な水を飲むことができたこと、3日にたまたま自衛隊員が小屋を訪れたことなど、奇跡的な幸運が重なった。

少年は少し衰弱していたものの無事で、発見から3日後の6日には、検査も兼ねて入院していた病院を退院し、元気なようすで両親と自宅に帰った。


北海道七飯町の置き去り事件は、奇跡的ではあるが奇跡ではなく、ましてや神隠しなどではないが、日ごろから妖しい事例を蒐集している私が真っ先に思い浮かべたのは神隠し、それから先述した小学校1年生の大騒動だった。

七飯町の問題の少年は、6歳のときの私よりしっかりした子かもしれず、姿を消していた間のこともちゃんと憶えているのかもしれない。

それとも私と同じように、何がなんだかよくわからないうちに時が過ぎ、夢見心地からふいに醒めるみたいにして現実世界に帰ってきたような気がしているのだろうか?


神隠し的な事件は、それほど珍しくないのかもしれないと思う。

2013年7月11日には、千葉県茂原市で、高校3年生の少女が行方不明になり、77日後に、自宅からたった400mのところにある神社の祠で発見されるという事件が起きた。

少女は、発見後、失踪中の時間の感覚がはっきりしないとコメントし、また、彼女の兄は「(妹は)顔を半分布団に隠していて、語りかけると首を縦横に振って合図はするが、喋ってくれない」とマスコミに語った。

このような報道に触れて、民俗学者・柳田國夫の以下の一節を思い起した者は、そう多くはないだろうが、きっと私だけではないと思う。


『運強くして神隠しから戻ってきた児童は、しばらくは気抜けの体で、たいていはまずぐっすりと寝てしまう。それから起きて食い物を求める。何を問うても返事が鈍く知らぬ覚えないと答える者が多い』


これが書かれた『山の生活』には、柳田國夫自身の神隠し体験も綴られているし、古今の同様の出来事もいくつも収録されている。


『村々の隣に遠く野山の多い地方では、取り分けてこの類の神隠しが頻繁で、哀れなることには隠された者の半数は、永遠に還って来なかった』

そして、

『珍しい例ほど永く記憶せられるのか。古い話には奇抜なるものが一層多い。親族が一心に祈祷していると、夜分雨戸にどんと当たるものがある。明けてみるとその児が軒下に来て立っていた。あるいはまた板葺き屋根の上に、どしんと物の落ちた響きがして、驚いて出てみたら、気を失ってその児が横たわっていたという話もある。もっとえらいのになると、二十年もしてから阿呆になってひょっこりと出てきた。元の四つ身の着物を着たままで、縫い目が弾けて綻びていたなどと言い伝えた』――。


神隠しの伝承は全国各地にあり、むしろ無いところの方が珍しい。

有名なのは青森県西津軽郡深浦町、白神山地の天狗岳で、ここは山菜採りに来た人がたびたび行方不明になるので「神隠しの山」として知られていたという。

いったいに、「天狗」という名が冠せられた山は、神隠しに遭いやすい場所なのだそうだ。昔は、山中で子供が忽然といなくなってしまった場合、天狗に攫われたとすることが多かったためだ。

多田克己 『幻想世界の住人たち IV 日本編』 によれば、江戸時代には、神隠しは「天狗攫い」とも呼ばれ、天狗攫いから戻って来た子供が、天狗と一緒に空を飛んで日本各地の名所を見物させてもらったなどと話したことがあるという。

国学者・平田篤胤の著書『仙境異聞』にも、天狗攫いから生還した寅吉という少年の話が登場し、これについては、柳田國夫はじめ多くの学者が書いている。寅吉の談話の記録は『仙童寅吉物語』として、江戸で大評判になったという。

寅吉は、江戸の越中屋與惣次郎の息子だったが、5歳のときに上野の寛永寺前で徳の高い天狗・杉山僧正に仙術をかけられて小さな壷に入れられ、常陸国岩間山(茨城県笠間市岩間町愛宕山)に連れていかれ、15歳のとき浅草観音堂前に突然現れた。

寅吉は仙界では高山嘉津間と呼ばれ、杉山僧正を頭とする十三人の愛宕山の天狗たちのもとで修業を積み、諸国を飛行したのだとか……。同地の愛宕神社には今もこの伝説が「十三天狗の祠」と共に祀られている。

他にも、天狗攫いの伝説の地としては、岐阜県美濃加茂市の「古井(こび)の天狗山」が有名で、ここは明治33年に開教した神道の一派・荒薙教の聖地にもなっている。

荒薙教では天狗を神の使いとしているため、境内には全長12mの大天狗像をはじめとする多くの天狗像が祀られている。


ちなみに、神隠しの下手人には、天狗のほかにも山姥や鬼、狐のほか、さまざまな妖怪が想定されていた。

そして、神隠しに遭った子は何処へ行くのかというと、昔の人々は、神域、すなわち常世へ迎えられたのだと考えていたようだ。


縄文時代以前から、日本の伝統的な民俗社会では、『幼い子供の霊魂は異界と此の世の二つの世界を自在に往来できるものとされ』ていた(括弧内、飯島吉晴『子供の民俗学』より)。

幼子が死ぬと、縄文時代には、甕(かめ)に納めて家の出入り口の敷居のそばに埋められ、一説によるとその家の女性が出入りのたびにその上をまたぐことによって、死児の魂が再びその女性の胎内に宿って此の世に蘇ることを願ったのだという。

その後も、黒田日出男『境界の中世 象徴の中世』によると、中世社会では元服前の子供は「童(わらわ)」であるとして「人」とは別のものとされ、死んでも『葬礼も仏事もなされず、袋に納められて山野に捨てられるのが普通の例であった』。


「七つまでは神のうち」という諺がある。

数えで7歳というと、満5歳くらいだが、かつては、そのぐらいの年頃までの子供の死亡率が非常に高かった。

そのため昔は、嬰児殺しである堕胎も含めて、子供の死というものに対する感覚は現代とは大きく異なり、もしも我が子を亡くしても、「カエス」「モドス」などと表現した。

「カエス」「モドス」とは、すなわち神の領域に「返す(帰す)」「戻す」という意味で、子供の霊魂を再び彼の世に預かってもらうという考えに基づいている。

逆に言えば、子供にとって、充分に大きくなるまでは、此の世は仮の宿のようなものだということになる。

だから「七つまでは神のうち」なのだ。

(文/川奈まり子

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