【川奈まり子の実話系怪談コラム】神隠し(七つまでは神のうち)・後編【第四十二夜】

2016/06/22 19:00

sirabee20160621kawana1

――七歳までの幼子は、かりそめに此の世にいるにすぎない。

したがって、江戸時代になってもまだ宗門人別帳に記載されず、氏子にも入れられないことが多かったという。

そればかりか一族の墓にも葬られず、近隣の野山にひっそりと埋められて、村落内の既婚女性たちによる女人講や子安講といった「講」システムによって祀られた村境の地蔵や道祖神に霊魂を託したとして、供養されていたのだそうだ。

また、柳田國夫によれば「児三昧」「子墓」と呼ばれる6歳以下の子供専用の埋葬地が設けられることもあった(『先祖の話』)。


七五三の日が11月15日に定められたのは1681年(天和元年)のことで、この日、五代将軍徳川綱吉の子、徳松の髪置の儀が執り行われたことに因るとする説が一般的だ。

髪置というのは、幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばしはじめることで、これを祝う髪置の儀の習慣が平安時代に生まれた。公家で2歳、武家なら3歳の、11月15日に行ったのだそうだ。

明治時代になると、3歳、5歳、7歳の3度、氏神さまにお宮参りして、最後の7歳のときに氏子札を授与される習慣が出来た。

七つまでは神の子だったが、このとき子供は神の加護を離れて、地域の共同体の一員となり、その証に氏子札を受け取るのである。

また、宮田登『老人と子供の民俗学』によると、七歳までは仏教の影響下に入れることを避けたのだという。なぜなら、『魂が自由自在に動ける神の領域に置かれるべきだ』から。

仏教では魂は成仏してしまい、容易には此の世に還ってこない。

「七つまでは神のうち」と似た、「七つまでは神の子」という言葉もある。

神の子であるから、仏教の管轄下には入れられず、したがって寺の宗門人別帳にも載せられない。「七つまでは神の子」という言葉からは、昔の人のそんな考えも浮かんでくる。


神の領域である常世・彼の世・異界と、人間の世界との境界に存在する小さな子供には、異界のものを見聞きする能力が備わっているとされた。

江戸時代、天狗に攫われた寅吉の言葉を、平田篤胤のような高名な学者が大真面目に書き記したことには、当時は少しも違和感がなかったものだと思われる。

今でも、子供たちは何か不思議な者や現象を大人よりも体験しやすいとする考えは、社会全体にうっすらと残っているように思う。

私自身も、自分の神隠し的な(といっても、いなくなっていたのはたかだか4時間程度だが)体験は、子供の時分ならではの不思議なことだと、なんとなく信じている。

また、子供の頃の謎めいた体験談を語ってくれる人も多いのだ。


数日前にも、子供の頃に奄美大島に住んでいた男性から、こんな話が寄せられた。


『私は小学校4年生のときに埼玉県から奄美大島の笠利町にあるスノという集落に引っ越したのですが、とても暑い日に、スノにいたユタ神様に、「暑いんだけど神様だったら何とかして」と言ったんです。すると、「ガジュマルの木に、下の歯から抜くようにして息を吹きかけると、ケンムンが風を起こすよ」とユタ神様が教えてくれたので、やってみたところ、本当に木の上から風が吹きつけてきました。

これは今では出来ないかもしれません。

ケンムンは、集落では、カッパのようなイタズラ好きな存在であると言い伝えられていました。いつもガジュマルの木の上にいるそうです。妖怪というより森の精霊に近いのではと思います。テレビドラマ『ちゅらさん3』では、キムジナーという名前で呼ばれてました』


「ケンムン」または「ケンモン」は、奄美群島に伝わる妖怪で、河童やキジムナーのように相撲を好み、キジムナーと同じくガジュマルの大木に住んでいるとされる。

姿は5、6歳の小さな子供に似て、河童のように口が尖っている。

ケンムンの伝説はたくさんあるが、私が注目したのは、体験者の「これは今では出来ないかもしれません」という一言だった。

この言葉からは、もしかすると「ケンムンはもういなくなってしまったので、現在ではこういうことは起こらない」という意味かもしれないが、「あの頃は子供だったから可能だった。今はもう大人になってしまったので出来ない」、そう悟って現状を受け容れる気持ちが透けて見えるようにも思う。

私もまったく同じように感じているが、同時に私が想うのは、息子のことだ。


今年(2016年)12歳になる息子が3歳だった初夏の頃のことだから、2008年のことになる。

ゴールデンウィーク後の週末、おそらく5月17日の土曜日か、明くる日、18日の日曜日に、私と夫は息子を連れて東京都北区の飛鳥山を訪れた。

この日は朝から快晴で暖かく、幼児を公園で遊ばせるにはうってつけだったが、午前11時頃、飛鳥山公園に着いてみると意外に空いていて、出入り口の周囲には人影がなく、遠くから子供たちの歓声が風に乗って聞こえてくるのみだった。

そこからは遊具なども見えず、目の前に樹々に覆われた丘があった。あの丘の裏手か、それとも丘の上なのか、ここからは見えないどこか離れた場所に、子供の遊び場があるのだろうと私は思った。

園内の案内板がどこかにあるはずだ。そう思って、息子の手を引いて歩きだしたところ、息子が突然、私の手を振りほどいて丘の方を指さすと、大きな声でこう言った。

「あそこにある汽車ポッポで遊びたい」

しかし、そこからは少しも「汽車ポッポ」のようなものは見えなかった。

夫と私は首を傾げたが、とりあえず息子が指さした方へ行ってみようということになり、息子を連れて丘を登った。

丘には階段が設けられ、登ることは容易だった。

さんざめく子供らの声が次第に近くなり、やがてパッと視界が明るく開けたと思ったら、丘の頂上の広場に着いた。

広場には遊具がいくつかあり、そして、隅に黒い蒸気機関車が――「汽車ポッポ」が――展示されていた。

私は息子に訊ねた。

「どうしてここに汽車があるってわかったの?」

「だって、わかったんだもん」

そう答えるやいなや、息子は嬉しそうに声をあげて汽車の方へ走っていってしまった。

すると、夫が何かを深く畏れるような気持を顔に滲ませながら、私にこう言った。

「俺の祖父ちゃんは蒸気機関車の設計技師だったんだ。まさかとは思うが……」

蒸気機関車は、子供たちが乗り込めるように多少、手を加えられてはいたが、まごうかたなき本物で、車体のそばに名称や来歴を刻んだ金属板が掲示されていた。

それによると、この蒸気機関車は昭和18年製造のD51853。準戦時設計と称して、鋼板の一部を木製に、銅製品を鉄製に置き換えられ、足りなくなった重量を補うために車体下部にコンクリートを注入された廉価版のデゴイチだということだった。

安物の車体ではあったが、吹田。小路、姫路、長岡、坂田の各機関区に順繰りに配属され、合計1,9424,713kmを走りぬいた――。

「祖父ちゃんが設計したのかもしれない。昭和18年製造なら、ちょうど祖父ちゃんが設計技師として活躍していた時期だから」

そう呟く夫の目には涙が光っていた。

彼が生まれる前に、祖父は病死している。会ったことのない祖父の魂が、曾孫を呼び寄せたのだろうか?

もちろん、そんな確証があるわけがない。

しかし私も大きな感動を覚えていた。夫の心の揺れが伝わってきたのだ。

遥か彼方から時空を超えて、彼の祖父の魂が走ってきてくれたような気がしていた。

夫の「祖父ちゃん」の魂は黒いデゴイチの姿をしているのかもしれない、と、そのとき思った。まだ神のうちにある幼い息子だけがその存在を感じ取れたのだ。


古来、日本に限らず世界各地で、子供には尸童(よりまし)になる能力があると言われてきた。

子供を依代にして、霊界と交信する。あるいは神の託宣を子供の口から語らせる。

そういった習慣や信仰は、日本にも近代まで存在した。

現代では、そうした民俗的な習慣は廃絶されている。

しかし、依然として子供たちは此の世ならぬものたちと交信できるのではあるまいか。


息子は、ときどき不思議なものを見ているようだ。

腕が長く、両手の掌を膝より下のあたりで揺らしながら歩いている女。背丈は140cmもなさそうなのに、顔が普通の人の5倍ぐらいある性別不明の人。首が頭の倍もあるかというほど長く、鉛筆のように痩せた男……全部書いていったらキリがない。

幼い頃はしょっちゅう報告してくれたものだが、だんだん間遠になって、最近ではめったにないようになった。

と、思ったら、この4月頃のこと、息子を連れて新宿三丁目の韓国料理屋に夕飯を食べにいった夫から、こんな話を聞かされた。

夫が、その韓国料理屋の前から電話をかけてきたのだ。


『今、物凄いものを見た。●●(息子の名前)を連れて店の前まで来たんだが、●●が「へんな酔っ払いがいる」と言って俺の後ろに隠れようとするから、あたりを見回したら、向こうから首が背中のほうに折れた男が歩いてきたんだ。

どうなってるかというと、顔が……真上どころか逆さになって後ろを向くんじゃないかというほど、喉のところから首が真後ろの方にグニャッと折れ曲がっていた。

そんな格好で、前なんか見えるわけもないのに、こっちに向かってふらふら歩いてきたんだよ。

首がめちゃくちゃ長くて……。あんなふうに頸椎が折れたら、人間なら生きていられないだろう。

誰だって驚くと思ったのに、奇妙なんだ。

どういうわけか、周りの人たちは気がついていないみたいだったんだよ。

……あれは妖怪なんじゃないかな。

●●と一緒にいたせいで、俺にまで見えちゃったんじゃないか?」


夫によると、その者は「世界堂」の方へ歩き去ったそうである。

「世界堂」の近くの交差点は、信号待ちをする人々で混んでいた。人込みに入る直前、それは着ていた服のフードを被ったというが、夫には、その瞬間、亀のようにヒュッと首を縮めて、頭の位置を普通の人間みたいに直したように見えたのだという。


その日、私は仕事が立て込んでいて、2人を外食に行かせて、自分は家で机にかじりついていたのだった。

一緒に行けば私も見られたのに、と残念でならず、2人が帰宅するとすぐ、息子に話を聞いた。

息子はケロッとして、「ああいう人なら原宿の代々木公園でも見た」と言った。

息子によれば、世の中にはいろいろな姿をした人がいて、首が長かろうが後ろを向いていようが、さして珍しくもないということだ。

そう言われてみれば、私自身も子供の頃には変わった姿の者たちをよく見かけたような気もする。

しかし大人になった今となっては、それらが現実の記憶なのか、単に空想したことだったのか、それとも夢だったのか、すべて曖昧模糊として、しゃっきりと想い出せはしないのだ。


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(文/川奈まり子

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