【真田丸】兄・信之がふたりの妻に生ませた子のその後

2016/07/31 05:30

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※画像はNHK公式サイトのスクリーンショット

前回放送の大河ドラマ『真田丸』では、大泉洋演じる真田信之が子供を授かるシーンがあった。それも、前妻のこう(清音院)と、現在の妻の稲(小松姫)がほぼ同時に懐妊するというもの。

結果的に信之は、このふたりの妻のおかげで男子に恵まれた。ところが後年、清音院の系統と稲の系統が激しくぶつかり合うことになる。

つまり「先に生まれた側室の子」と「わずかに遅く生まれた正室の子」のお家騒動なのだが、これが結果的に沼田領を召し上げられるという大損失を誘発。だが、それらの歴史は全国的にはあまり知られていない。



 

■信之が長命だったため……

信之が清音院に生ませた長男は、のちに真田信吉と呼ばれることになる。成長した彼は沼田城主として3万石を相続する。

一方、信之と正室の稲との間に生まれた次男の真田信政は、信吉の死後に沼田領を引き継いだ。ちなみに沼田領は独立した藩ではなく、あくまでも真田松代藩の一部。だが徳川政権下で松代藩主となった信之が、当時としては恐ろしく長命だったため(しかもなかなか隠居が認められなかったため)信政の本藩相続がだいぶ遅れてしまった。

彼は家督相続からわずか2年でこの世を去るのだが、問題はその後継者。信政側には幸道、信吉側には信直(信利とも)という後継者候補がいた。


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■真田領の分裂

ここで話を整理すると、信直が清音院の系統、幸道が稲の系統である。

17世紀中葉に発生した真田家のお家騒動は、この両者を巡るものだ。具体的に言えば、まだ幼児だった幸道が本藩の家督を継いだことに信直が反発したのだ。

この騒動は老中や土佐藩山内家をも巻き込み、ついに幕府が介入。松代藩は幸道が継ぎ、沼田領はそこから独立させることで決着したのだ。すなわち信直は沼田藩主になったわけだが、悪いことに浪費癖があった。

信直は松代藩に対抗心を燃やし、沼田城に豪華な天守閣を建てた上、領民に重い年貢を課した。石高を水増しするための検地まで行い、沼田領を疲弊させてしまう。

天候不順で飢饉が発生してもその態度は変わらず、とうとう幕府への直訴に打って出る農民まで。茂左衛門という人物が、その命と引き換えに訴状を将軍へ届けたのだ。茂左衛門は磔にされ、彼の供養碑は今も群馬県利根郡みなかみ町にある。

なお、幕府は茂左衛門の処刑中止の命令を出しているが、あと一歩のところで連絡が間に合わなかった。使者はその責任を取り、切腹している。


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■真田太平記のエピローグ

真田昌幸が命がけで守った沼田城は、最終的には徳川幕府によって破却されてしまう。しかもその発端が、徳川方に味方した信之の子であるからまさに歴史の皮肉である。

ここで注目すべきは、真田信之という人物があまりにも長生きしたという点。享年93歳とは、当時の人々から見れば生き神か仙人の域だ。そして「真田太平記」の物語が昌幸に始まり信之に終わるとするならば、そのタイムスケールはじつに1世紀にも及ぶ。

真田の歴史は、長大な絵巻物と表現してもいいだろう。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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