「魔王の帝王学」は格差を生む?信長と家康、理想の父親は

2016/08/15 05:30

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父親は厳しいほうがいいのか、それとも優しいほうがいいのか。

そうしたことはしばしば教育論という名目で、大きな議論になる。数多くの知識人がこの議論に参加し、お互いまったく正反対のことを主張して衝突することも。

だからここは、実在の歴史人物にたとえて問い直してみよう。

織田信長と徳川家康、このふたりは正反対の性格として現代の大衆に知られているが、もし父親にするのなら現代人はどちらを選ぶのだろうか?



 

■「魔王」を選んだのはわずか3割

この両巨頭についてはもはや説明不要、戦国時代を終わらせた大英雄である。

信長と家康、現代人にとっての「理想の父親」はどちらだろうか?

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結果、徳川家康を選んだ人は69.8%、織田信長は30.2%。

信長を「理想の父親」と考えている人は、少数派であることが分かった。やはり、彼には「厳しすぎる」「過激」といった印象があるのだろう。

確かにそれは当てはまる。信長の経営方針は「能力主義」だが、それを彼の息子たちにも適応。たとえば織田家の嫡男信忠は、父から武田討伐軍を任されていた。その采配はまさに苛烈の一言で、信用できない敵将を処刑する、反信長勢力のメンバーを匿った寺を焼き討ちするなどの行為に及んでいる。

それだけ父からの期待を背負っていた、という解釈もできる。


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■「ダメな息子で構わない」という家康

一方で、徳川家康は自身の跡継ぎに能力を求めていなかった節がある。

徳川家の家督を継いだのは、家康の三男秀忠だ。この人物は、戦国に生きる者としてはせいぜい二流どころ。関ヶ原の合戦では父から大軍を任されていたにもかかわらず、結局関ヶ原にたどり着けなかったという大失態を見せている。真田昌幸の挑発に乗り、戦略上重要ではないはずの上田城攻略に手を出してしまったのだ。

そんな「ダメな息子」を、家康は自身の後継者とした。その理由は、家康死後の幕閣政治の構造に表れている。将軍は老中たちの合議により決められた事項にサインするだけ、という体制になったのだ。

平たく言えば、家康は「自分の息子は馬鹿でいい」と考えていた。


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■信長の次男は「バカ殿」

「子供は優秀でなくてはならない」と「子供は馬鹿でもいい」というふたつの発想。どちらが正しいかを論ずることはできないが、どうやら子供に対して優秀さを求めると「兄弟格差」が出やすいという傾向がある。

先述の通り、信長は嫡男の信忠に大きな期待をかけ、同時に課題を与えていた。だがその後ろで、次男の信雄は難しい仕事を兄に任せ、ただひたすら疲れない場所に居座っていた。

この信雄は、同時代に生きた誰しもが認める「バカ殿」。キリスト教の宣教師ですらも信雄を酷評しているほどだ。

「優秀な子供を求める」と、兄弟の中でより出来のいい子にばかり構ってしまう。すると優秀な子供とそうでない子供のレベルが、どんどん開いていく。現に信雄は、信長に無断で軍を動かしてしまった。

「父の帝王学」を教育されていなかった証拠である。その上、信雄は肥満体型でもあったようだ。

子供の視点から見れば、「多くを望まない父親」のほうがむしろ自身のためになりやすい、ということだろう。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一
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