【速報】タイ・プミポン国王崩御 「団結と和解のシンボル」として70年在位

2016/10/13 22:30

プミポン国王
画像はFacebookのスクリーンショット

タイのラーマ9世プミポン国王がこの世を去った。享年88歳。

プミポン国王は「世界で最も長く在位した君主」として知られ、またタイ国民から絶大な尊敬を集めていた。第二次世界大戦後のタイ発展を促し、そして赤化の危機を食い止めた人物としても評価されている。

プミポン国王は、まさにタイ国民の「精神の支柱」だったのだ。



 

■スイス帰りの貴公子

1946年6月、当時のタイ国王だったラーマ8世が急逝した。これは今なお謎の多い死で、不敬罪に触れてしまうため追求すら行われていない一件でもある。

そのラーマ8世の跡を継いだのが、弟のプミポン・アドゥンラヤデート。スイスのローザンヌ大学で学業を修めた、学者肌の貴公子だ。

ラーマ9世として即位したプミポン国王が着手したのは、農業改革である。北部の山岳地帯や東北部の穀倉地帯で、王室主導のプロフェクトを次々発足させた。

日本製のカメラを片手に積極的な地方視察を行ない、必要とあらば水田の中に入って現地の農民の手助けをした。国王が労働者とともに働くというのは、タイでは「あり得ないこと」だったのだ。

また、日本の皇室と協力して食用魚の養殖事業を発足させるということも。天皇陛下は、魚類学者でもある。

陛下からタイへ贈られたプラーニンという淡水魚は、プミポン国王の指導で養殖され今やポピュラーな食材となった。

そしてここから、我が国日本の皇室とタイ王室との深い関係が構築されたのだ。


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■王室の意義

ところで、タイの歴史には「危機の時には王室が立ち上がる」という方程式のようなものがある。

『王様と私』というミュージカル作品がある。これは19世紀中葉のタイ国王ラーマ4世に雇われたイギリス人女性の話だが、当時のタイは日本と同じく欧米列強からの侵略の危機に直面していた。

侵略を跳ね除けるためには、むしろ欧米から最先端技術を学び国防を強化しなくてはならない。

だからこそ、ラーマ4世は「お雇い外国人」を積極的に招聘した。その方針は息子のラーマ5世にも引き継がれ、タイは見事な近代化を果たしたのだ。

プミポン国王の治世下でも、様々な危機がタイを襲った。その中で最大の出来事が「周辺諸国の赤化」である。

隣国のラオスとカンボジアで共産主義政権が誕生し、しかもカンボジアからはポル・ポトという近代史上最悪の独裁者が牙を向いていた。

そうした中でもプミポン国王は国民の結束を図り、赤化の危機から脱出することに成功したのだ。


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■偉大な君主

タイ国内の各地には、プミポン国王の肖像写真が掲げられている。個人宅を伺っても、目立つ場所に国王夫妻の写真がある。タイでは常識的な光景だ。

だがこれは、たとえば北朝鮮国民が金日成の肖像画を掲げる行動とは似て非なるもの。戦車と機関銃と秘密警察がなければ崩壊するような独裁国家とは違い、タイは「団結と和解のシンボル」として王室があるのだ。

現にプミポン国王は、内乱寸前に陥ったタイを幾度も窮地から救っている。こうしたことは、独裁者には不可能だ。

偉大な人物の功績は、永遠に人々の胸に刻まれるだろう。

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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