『おんな城主直虎』春風亭昇太=今川義元が視聴者を恐怖のどん底に

もっとも存在感を発揮したのは、やはり春風亭昇太が演じる今川義元だろう。

2017/01/15 10:00

16世紀中葉の今川家は、日本有数の大大名家でもあった。

戦国時代に限らず、日本の戦乱期は「いかに東海道を確保するか」が求められた。大人数の軍隊を西から東へ、あるいは東から西へ移動させるためには東海道か中山道を通って行くしかないのだ。それが分かっているから、戊辰戦争の際には山岡鉄舟が今の静岡市で西郷隆盛を待ち構えていた。

しかも駿府や三河は、気候が温暖な上に海洋資源にも恵まれている。この地を制した者が大勢力の盟主にならないはずがない。



 

■昇太が怖すぎる!

さて、先週の『おんな城主直虎』でもっとも存在感を発揮したのは、やはり春風亭昇太が演じる今川義元だろう。

Twitterユーザーの間からも、「昇太が怖い!」という声が相次いでいる。

今川義元といえば「公家の格好をした軟弱な大名」という印象ばかりが先行していたが、先述の通り16世紀中葉の時点で義元は全国トップ規模の大大名。「海道一の弓取り」が軟弱なはずがなく、それどころか誰しもが震え怯える権力者だ。


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■「最高学府」としての臨済寺

そんな今川家は、周辺諸国の豪族から人質を取っていた。

あの徳川家康も、かつては今川へ人質に行っていたことは有名である。だがそれは、結果として悪いことではなかった。むしろプラス面ばかりが家康に転がってきたと言ってもいいだろう。

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家康は臨済寺で、日本最高水準とも言うべき教育を受けた。哲学や歴史学、軍略などをここでマスターしたのだ。臨済寺の創設者は、今川の軍師だった太原雪斎という僧侶。家康は雪斎から「戦国の極意」を伝授される。

人質だからといって、決してぞんざいに扱われていたわけではない。


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■あの頃の息吹が今も

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臨済寺は、日本有数の修行寺である。従って一般人の入場は制限されている。

臨済寺の僧は、地元静岡市では尊敬の眼差しで見られている。我が家はどこの宗派の檀家か知らない人でも、臨済寺の托鉢僧に手を合わせるほどだ。

それは激動の歴史を生き延びたことに対する、敬意の表れである。臨済寺がなければ、今の静岡市は存在しない。海道一の弓取りの息吹は、今もこの町の片隅に伝わっている。


(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部

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