ワシの家にはテレビがない!①【溜池ゴロー、子育てこそ男の生き甲斐】

2014/10/29 11:30


しらべぇ1029溜池ゴロー

ワシの家にはテレビがない。なぜなら、息子が生まれてしばらくした頃、我が家にあったテレビをゴミ置き場に捨ててしまったからだ。それ以来10年ほど、ワシらの家にはテレビがない。つまり、ワシの息子はテレビを観る習慣なく生活してきた

ついでに言うと、我が家には、ゲームもない。おまけに車もなければ、ワシの頭には髪もないときたもんだ……まあ、そんなことはどうでもいいのだが……。では、なぜワシがテレビを捨ててしまったのかをお話したい。

息子がまだ生まれたばかりの赤ん坊の頃、ワシはちょっとでも時間があれば、可愛さのあまり息子をこちょこちょと触りまくったり、ぺちゃくちゃと話しかけたりしていた。そんな時、まだ言葉のわからない息子も何を伝えようとしているのか、ワシに「ウーウー」と一生懸命お喋りをしようとする。

ワシも息子の「ウーウー」を受けて「そうかあ!凄いなあ!いい子だなあ!」と思いっきりの笑顔で、息子の頭をなでてやると、息子も笑顔を返してくる。そんなコミュニケーションの中で、ワシは息子をずっと観察していた。

ワシは科学者ではないので、赤ん坊の脳みそが発達していく科学的(生物学的?医学的?)な過程を説明することはできんが、赤ん坊だった息子を観察している上で、ひとつ感じたことがある。それは、赤ん坊は「一つの物事をじっくり観察し考えながら脳みそをゆっくり発達させて行くのではなかろうか」ということだ。

というのも、赤ん坊時代の息子に接しているとき、その辺にあるモノ(例えば時計とかスプーンとか)を目の前に出すと、息子はそれをジーッと見つめ、眉間にしわを寄せて難しい顔をしながら観察し続けるのだが、息子がその顔になるとワシはいつも「何なんだこれは!?」と手をこねくり回している岡本太郎を思い出してしまっていた。

きっと息子も頭の中で、ああでもないこうでもないと思考をこねくり回していたのだろう。

そんなときは、まるで息子の頭の中から、ニューロンや脳細胞が繋がり増殖していく音がピチピチと聞こえてくるかの様で、「ああ、今この瞬間に息子の脳みそは発達しているのだ!」と実感したのである。そのとき、ワシは思った……「そうか、赤ん坊は、一つのモノやことをじっくり観察し考えることによって脳みそをゆっくり大きく発達させていくのだなあ」と。

そんな日々を過ごすうちに息子にとって最初の大晦日が来た。息子がまだ生まれて2ヶ月もしない頃だ。当時大晦日の夜と言えば、ワシの好きな格闘技イベントの番組が視聴率を稼いでおった。ワシは、台所でおせち料理を作る妻の代わりに息子を抱っこしながら、格闘技番組を夢中で観ていた。

そのときのことだ。ふと、テレビの画面から息子の様子へと目を移すと……息子の目はテレビ画面へと向けられていたのだが……その目は、いつもの好奇心と脳みそがバンバン活動している雰囲気はなく、受像機から流れ出ている情報をボーと眺めているような色合いだった。

ワシは、こう解釈した……「テレビから次々と洪水のように流れてくる映像や音の膨大な情報量は、じっくり観察思考しながら脳みそを発達させている赤ん坊にとって、思考をする余裕をなくしてしまい、考えることをストップさせているのではなかろうか。ゆえに、テレビをつけ続けていることは、赤ん坊の脳みその発達を遅らせるのではないだろうか……」と。

当然、ワシとしては、息子が赤ん坊のうちはテレビを観せるのをやめようと思ったわけだが、ふと先のことも考えてみた……そのうちに息子も首がすわり、ハイハイするようになり、やがては立ち上がってテレビのスイッチを勝手につけることになるだろう。

そのときに無理にテレビを観せないというのはどういうものか……さてどうするべきか悩もうとしたワシだったが、その瞬間、当たり前だが明快で単純な答えが頭にひらめいた。

「そうか!だったら、テレビを捨ててしまえばいい!」

幸いにして、ワシも妻もテレビを観ることには、そんなにこだわりを持ってはいない。ということで、ワシら夫婦は、年を越してすぐにテレビを捨ててしまった。それ以来、ワシら家族は、テレビのない生活をしているわけなのだ。

では、テレビのない我が家で息子がどう生活してきたか……この続きは、次回!

(文/溜池ゴロー


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