【バンコクのスーパー老人】作家・宮崎学が描いた伝説のヌードダンサー まりこの今
バンコクのエカマイに『まりこ』という居酒屋がある。
店を営む武山真理子さんは現在82歳。高齢でありながら1人で店を営む彼女は、激動の人生を歩んできた伝説のヌードダンサーとして知られている超老人である。
彼女の半生に興味を持ち、筆を執ったのは作家・宮崎学氏だ。宮崎学氏といえば、1984年の「グリコ・森永事件」で“キツネ目の男”と酷似していたことから、最重要参考人として事情聴取を受けたことでも知られた作家である。
そんな彼が真理子さんを題材にした『マリコTake Off!―アジアを駆け抜けた“戦場のヌードダンサー”マリコの半生』を上梓したのは2002年だ。
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真理子さんは台湾で生まれ第二次世界大戦を経験。その後、東京へ引き揚げ日劇のスターダンサーとなったが、その名声を棄て、戦火で血に染まるベトナムへ渡り兵士たちを相手に踊るヌードダンサーとして生きたのだ。
ここでは、激しい半生の詳細を描くことはできないので、著作を読んでいただきたいのだが、彼女はベトナムを去った後アジアを流転。約30年前にバンコクで居を構え、25年ほど前に『まりこ』をオープンした。
82歳という高齢でありながらスタッフを雇うことなく、1人で店を切り盛りしている姿には驚かされる。彼女の近況や日常を見せていただきたく、このたび取材を申し込んだ。実は『まりこ』、昨年の10月にトンロー地区からエカマイに移転している。
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「オープンしてから10回目の移転よ。もう慣れちゃったわ」
真理子さんはそう話して、ふふふと笑顔を見せた。女手一つ、異国で長く飲食店を営むのは、そうそう簡単なことではない。移転したばかりの店内には、彼女がダンサー時代だった頃の写真や、著名人のサインや飾られている。
食材を仕入れるのも、調理も、すべて彼女。手伝う者は1人もいない。食材の仕入れる姿を見せてもらいたいとお願いし、バンコク最大のクロントゥーイ市場へと同行させてもらった。
クロントゥーイ市場は飲食店を営むタイ人が食材の仕入れ先として利用する、ローカルな市場だ。バンコク最大と言われるだけあり、とにかく広い。その敷地内を、すたすたと闊歩して行く。
「この辺りは魚が売っているのよ」
手にイカや魚を持ち、吟味し、値段を訊いていく。
次々に食材を購入し、買い物袋をいくつも腕にぶら下げテンポよく歩いて行く姿は、年齢をまったく感じさせない。
「ここ何十年、踊らなくなったから体力が落ちちゃったわよ」
なんて言っていたが、いやいや…。
お店へ戻ってから購入した食材で調理を始めてくれた。牡蠣のバター炒めや、大根の煮物、おでんなど、飾らない料理たちが次々と卓上にやってくる。
「ダンサー時代は自分で料理をすることなんてなかったし、昔は『まりこ』でもタイ人の調理人を雇っていたから、私はぜんぜん料理なんてできなかったの。でもタイ人も辞めちゃったし自分でやらなければならなくなって、7年前から料理を始めたのよ」
7年前といえば75歳。
75歳で初めて料理を覚えメニューを増やしていったとは、驚かされるパワーとバイタリティだ。卓上に真理子さんの手料理が並んだ。それらを頂きながら、彼女の今後を伺った。
「面倒を見てきた子たちも、中学、高校、大学を卒業したんです。だから、私の役目も一段落したので、そろそろ日本に帰ろうかと思っているんです。やっぱり私、日本が好きだから」
面倒を見てきた子供たちとは、真理子さんが49歳の時に結婚したタイ人の旦那の子供である。だが、真理子さんとの子供ではない。旦那が他の女性に産ませた子のことだ1996年に旦那は他界したため、その子供たちを引き取り、血のつながっていない2人を育てあげたと言う。
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台湾で産まれ、戦後の日本でダンサーとして活躍し、戦火で踊った。バンコクで20年以上、女手一つ『まりこ』を守ってきた。他人の子を2人育てあげた。あまりにも激し過ぎる人生が、武山真理子という女を途轍もなく強くしたように思う。
「最近の日本の男は、弱くなっちゃったからね」
その通りだ。私を含め、日本の男たちはどんどん弱くなっている。「強くあらねば!」そうは思うが、真理子さんには到底敵わない。
真理子さんが本当に日本に帰ってしまうなら、これほど寂しいことはない。しかし彼女は、好きな日本、祖国で最期を迎えたいと話してくれた。誰彼に話すことない日本への想い。その想いを抱きながら、今宵も彼女は『まりこ』の灯を守っている。
(文・写真/しらべぇ海外支部・西尾康晴)