北陸新幹線の約50年前…東海道新幹線開業日の始発の様子を調査!意外に空いていた?
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ここ最近、各メディアは北陸新幹線の開業の話題でもちきりでしたが、新幹線の”大先輩”、今からおよそ50年前の東海道新幹線の開業日の様子を調べてみました。
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■6時始発、1号車A席に座ったのはこんな人だった
新幹線の開業を待ちわびていたファンにとっては、できれば始発便の1号車のA席という、いかにも縁起の良さそうな席を獲得したいもの。
見事その席に座れたのは、横浜市の22歳の会社員だった。切符が売り出される3日前から駅に並んでいたという。
当時のインタビューで「せっかく切符を手に入れても新大阪で回収されてしまうから、となりの席の切符も買ったんです」と答えていた。なんと用意周到なんだろうか。
あれから50年。70歳を超えて今でも新幹線を見る度にあの日のことを思い出すのではないかと思われる。ちなみに、車内では新幹線建設の歴史や沿線の名所を紹介したパンフレットが配られたそうだ。
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■6時始発、出発時は意外に空いていた
Photo by Tamaki Sono
北陸新幹線の始発便の指定席のチケットはあっという間に売り切れたが、東海道新幹線の東京駅始発の便は、東京駅を出発した時は意外にも空いていた。
当時の新聞によると、2等車(普通車)は8割が埋まっていたものの、1等車(グリーン車)は5割程度だったという。(普通車、グリーン車への名称の変更は昭和44年に行われた)
料金は「ひかり」と「こだま」で異なっており、例えば東京~新大阪間の2等車の料金は「ひかり」運賃1,180円、超特急料金1,300円で計2,480円、「こだま」運賃1180円、特急料金1100円の計2280円だった。
当時の大卒の初任給の平均は21,500円。それを考えるといずれも高価だったことが分かる。
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■記念式典では花火も
Photo by Ken FUNAKOSHI
東京駅で行われた式典ではテープカットが行われたほか、新幹線開業を記念して作られた『超特急行進曲』が東京吹奏楽団によって演奏された。さらに、ハト50羽が大空に放たれ、花火も21発打ち上げられた。まだ早朝6時である。いかに華々しいものだったかが分かる。
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■ビュッフェは超満員
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早朝とはいえ、ビュッフェはもの珍しさもあって超満員。ちなみに、当時はビール160円、カレー150円、エビフライ200円のほか、スープ・肉料理・生野菜サラダがついて500円の定食などもあった。特にカレーは大人気だったという。
残念ながら食堂車は平成12年で姿を消してしまった。
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■初の「新幹線すれ違い」に興奮
Photo by tonko43
東京と新大阪をそれぞれ出発した新幹線がすれ違うポイントは豊橋付近(当時)。夢の超特急同士のすれ違いを見ようと、乗客は新幹線が豊橋に近づくにつれて固唾をのんで車窓に注目していたという。
しかし、いざすれ違うとあまりにもあっという間の出来事だったため、拍子抜けする人も多かったとか。
■開業日にはトラブルも
Photo by Paul Keller
無事、夢の超特急は走り出したが、ちょっとしたトラブルもあった。
新大阪発ひかり17号が鳥飼の車両基地を出発する際、パンタグラフの動きが悪いことが発覚。
当時の資料によると「出発が20分遅れたが、スピードをアップして遅れを取り戻し、岐阜羽島では7分遅れでの到着となった」とある。まさにスピード解決というところだ。
■明るい話題ばかりかと思いきや
Photo by Michael
東海道新幹線開業からわずか10日後に東京オリンピックが始まる。この頃の映像を見ると、なんだか景気が良い話ばかり…というイメージがあるのだが、この頃に発売された『週刊朝日』(当時50円)昭和39年10月9日号の見出しは次の通りだった。
「ルポ 絶望に至る町-兜町 証券会社の支店閉鎖が相次ぎ証券マンは逃げ支度に忙しい」。
ちなみに倒産件数は379件。当時の新記録だったそうで、新聞では「そのシワ寄せは零細企業へ…」とも書かれてある。まさに、光あれば影ありなのであった。
(文/やきそばかおる)