三島由紀夫『金閣寺』の主人公は元祖ストーカー?【芥川奈於の「いまさら文学」】

2015/08/01 07:00

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日本文学の金字塔と呼ばれる、三島由紀夫の『金閣寺』。1970年に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(※)で割腹自殺を図った三島が、どの様に「美」を愛し追及していたのかを紐解くため、一度は読んでおきたい小説だ。


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■あらすじ

幼い頃より父から「金閣ほど美しいものは地上にはない」と教えられてきた主人公・私は、吃音というコンプレックスを持っていた。


やがて金閣の住職を訪ねた父は息子の将来を託し、私は修行僧として過ごすようになった。しかし、自分をとりえのない人間だと感じている私は、劣等感に悩まされていた。


戦争により空襲を受け、自分を焼き殺す火が同時に自分とは正反対の美しい金閣をも焼くかも知れないと彼は考えるが、京都は空襲を免れ、終戦を迎える。


彼は、自らが作り上げた金閣という幻影美を現実の金閣と共に焼き払う決意を固める。


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■ノンフィクションから生まれたフィクションの傑作

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本作には、モデルとなる青年修行僧の存在と1950年に起きた金閣寺放火消失事件がある。

この修行僧は、作品に登場する「私」と同じく吃音障害を抱えており、また、そのような若い僧が犯人であったことは当時とてもショッキングな事件として伝えられた。

犯人となった修行僧の金閣寺=美への反抗は、当時「行為」の意味を追求していた三島の琴線に深く触れたのだろう。三島は何年にも渡りこの事件や修行僧について取材を重ね、そこに文学的モチーフを織り込み、遂にこの小説を発表することができたそうだ


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■元祖ストーカー? 金閣寺に魅せられた「私」

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主人公・私は、過剰なまでに金閣の美しさに執着する。そしてそれに反するように自分の取り柄のなさ、コンプレックスの重さを疎ましく思う。金閣は常に神々しい「あちら側」の世界にあり、自分は世俗的な「こちら側」にいるのだと思い悩むのだ

しかし、私は遂に「あちら側」の世界に足を踏み入れようとする。それが金閣に火を付け自分も消失するということだ。かなり過激な思想だが、現代にもこのような人は少なからず見受けられるのではないだろうか。

美しいもの、愛しいものを手に入れたいために自己を投げ打つ前に、一息入れてもらいたいと思うのはいつの時代も同じである。


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■美しさを取るか、童貞を捨てるか?

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「私」には柏木という友人がおり、何かにつけて女を紹介してくるが、それに従い女を抱こうとすると目の前に神聖化された金閣が現れ、どうしても抱くことができないでいた。

私は、より俗的な世界で生きることを拒んでいたからであろう。

柏木は「美は虫歯のようなもの」と表現している。痛みで自己主張するが抜いてしまえばどうということのない存在だと。だが、私は、やはり美を捨てることはできずにいた。つまり、童貞を捨てられずにいた。父から擦り込まれてきた言葉=幼児教育とは恐ろしい。

※そんな「金閣寺」が読みたくなったら…

読めば読むほど味の出るスルメのように美味しくて美しいこの小説。文庫本が各社から出ているので手にも入れやすいだろう。

中高生の頃、夏休みの読書感想文で読んだ方も多いのでは。今、また違う視点で読んでみるのもいいかもしれない。

(文/芥川 奈於

※本記事は、配信後に誤植を修正いたしました。

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