乙一が16歳で書いた儚い子供たちの悪夢のようなストーリー【芥川奈於の「いまさら文学」】

2015/11/07 07:00

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世界中のほとんどの小説の場合、ストーリーを語る立場にいるのはその作品の主人公、或いは全てを主観視した語り手である。そして、読者はそれらの目を通して物語の内容を理解していくのが当たり前だと言っても良い。

しかし、作家・乙一が書いた『夏と花火と私の死体』(1996年)は、登場人物のひとり・弥生に殺されてしまった五月(さつき)が事の流れを語っているのだ。

死体が喋る? なんとも不思議な読み心地である。

主な登場人物は、健と弥生兄妹と、五月、そしてアイスクリームをくれる20代の緑さんだ。

五月が死んだあと、語り手は「わたし」となり、それは五月のことになる。

『健くんは自分達の押入れにわたしを隠した』


というような文章は、とても違和感があるが、この物語の中ではそれが普通なのだ。

五月が死んでから、神社の子供花火大会までの4日間、健と弥生は地獄のような時間を過ごす

「わたし」を如何にわからないように隠し、母親や緑さんに見つからないよう、毎日深夜に渡り、押入れ、コンクリートの側溝、田んぼなどに移し、隠し続ける。

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読み手としては、その度にヒヤヒヤする。その理由の何パーセントかは、その行為を行っているのが10歳前後の少年少女だから、ということだ。

子供達というのは、時に無邪気で、時に残酷な存在である

ジャン・コクトー(1989~1963)の書いた『恐るべき子供たち』に代表されるように、純真な心を持っているからこそ、悪どい事をしても受け入れてしまう読者がおり、そうして暫くしてからその意味にゾッとする。

もちろん、このストーリーは只々残酷で、子供達が困惑しながらも五月を隠し通すだけで終わるはずはない。最後には最高のカラクリと、どんでん返しが待っている。そして、それを知った読者はハッとする事だろう。

乙一は、この作品を16歳の時に書いている。海外の“天才”と言われる詩人が同じ年頃に素晴らしい作品を発表するのとは少し訳が違うと思うところは、この作品がエンターテインメント作品であるところだ。

デビュー以前・当初、本人はライトノベルを愛読して影響を受けていたようだが、だんだんとその世界から遠ざかっていく。そして小説『GOTH』を発表(単行本は『GOTH リストカット事件』、文庫は『GOTH 夜の章』『GOTH 僕の章』の2冊)。

人間の暗黒面を楽しむ「僕」と、「森野夜」の周りで起こる異常な犯罪との日々を描いている。

季節外れの涼しい本を読んでみたいのなら、乙一作品をお勧めする。『GOTH』は長い作品だが、乙一初心者でも読みやすいので、挑戦してみては。

(文/芥川 奈於

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