悲しきモテ男は恋愛をしても必ず失敗するというセオリー【芥川奈於の「いまさら文学」】
絲山秋子 著『不愉快な本の続編』(2011)
これほどまでに憎たらしくも憎めない主人公がいるだろうか、というような男・乾ケンジロウ。
大学へ進学し、その途中フランスに留学するが、そこで女にしくじる。帰国後、生来の「ヨソ者」として暮らすのだが、東京ではヒモ生活をし、やがて新潟に行き恋に堕ち結婚するも破局。
そして富山で再会した女友達に、美術館で盗んできた彫刻を餞別として渡し、結局故郷である呉に旅立つ…。
金貸しやヒモをして生活するサイテー男・乾は、それでもモテる。どこへ行き、誰に会っても、必ず女が付いてくる。フランスに留学していたことが彼に箔をつけてしまっているせいもある。
東京での生活は滅茶苦茶だ。乾はスカトロを好むので、読み手としてはその描写が凄まじく思えることだろう。そしてそういった性的嗜好は、ある種の現実逃避の顕著な現れであると感じる。
だから乾の姿は、読んでいてもなかなか捉えられない。新潟で恋をしたあたりで出てくる会話で、やっと姿を表すといってもよい。
それまでは、ただ一点に留まり淀むことなく暮らし、あらゆることから逃げ回り、目の前のものを直視しようとしない。
当の本人は常に「ヨソ者」として彷徨っているのだ。故郷である呉に辿り着くまでは。
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この『不愉快な本の続編』は、あくまでも「不愉快な本」ではなく、「不愉快な本の続編」なのである。
現実的なことを書くと、作者・絲山秋子(1966~)の書いた『ニート』(2005年)に収録されている「愛なんかいらねー」と繋がっているから「続編」と取ることができるという訳だが、作者はそんな単純な意味でこの本を書いたのではなさそうだ。
本書は、「生まれる」「取り立てる」「好きになる」「盗む」「佇む」「入る」の6編で構成されている
それぞれの意味は乾が起こす行動について書かれているのだが、時に正確に、時に読み手を裏切るように、上手くかわし逃げるような文章は、乾そのものといえる。
シュールで、どこか切なく哀しいストーリーを書かせたら右に出るものはいない絲山作品の代表作ともいえるこの本、ラストまでその世界から読者を手放さないことだろう。
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乾は結局、どんな女とも連れ添うことなく消えていく。存在自体が消滅していく。我々を置いてきぼりにして。
しかし気づけば、彼に魅了されてしまった自分を発見する。モテ男は、読者にまで伝染してくるのか。
そんな彼を振ろうが一生付き合おうが、決めるのは私達次第である。
(文/芥川 奈於)