川奈まり子の実話系怪談コラム 辻に建つ家【第三十一夜】
「…上から髪の毛が下がってきたと思ったら、ニューッと、赤黒く膨らんだおばさんの顔が、おでこの方から現れてきて、飛び出した目でギロギロッと覗いてくるんだから…」(本文より)AV撮影やドラマの撮影で使われる、古い民家。そこでの数々の怪奇現象とは…。作家・川奈まり子さんがおくる実話系怪談。
その家は、埼玉県M市の住宅街の只中にあった。
このあたりは東京都心部への通勤圏内で、昭和の終わり頃に開発されたベッドタウンであり、JRの駅からも近い便利の良い場所だ。
宅地として整備されたのは30年以上前になるが、家々の多くは、一度か二度の建て替えあるいは大がかりなリフォームを経ていて、見苦しくない外観を備えている。
その一方、空き地や駐車場も目立つ。
ここに昭和に入植した第一世代から第二世代へ、うまく家土地をバトンタッチできないケースが少なくないのだ。
高い相続税、職住接近を指向する最近の傾向等など、さまざまな原因に阻まれて、子や孫世代が土地を手放す。
老朽化した家は取り壊され、更地になり売りに出される。しかし、子世代が住みたがらなかった土地が容易に売れるかというと、当然なかなか売れない。
そこで、少しでも土地を活用しようと、月極駐車場やコインパーキングにする。
こうして、虚しい空隙が虫喰いのように町をむしばんでゆく。
昨今、郊外ではよく見られる風景だ。
その家も、土地の古さを物語るのは丈高く育った庭木だけで、家自体は築十年にも満たないように見えた。
そして、敷地の一方の隣は狭い空き地で、路地を挟んだもう一方は駐車場だった。
角地に建っており、空き地を隔てた向こうには二階建てのアパートが建っている。あと一方の隣には、最近、飲食店が出来た。が、そこは夜には無人になった。
つまり隣り合う住居が無く、そのため、住宅街にありながら、その家はひどく孤立した雰囲気を醸していた。
もっともそれは、蔦に覆われた高い塀と、繁りすぎた庭木のせいもあるかもしれない。
木々で隠されて、外の通りからは家の大部分が見えないほどなのだ。
住人が居れば、大幅に枝を刈り込む必要があると思うはずだ。
しかし、ここには住む人がいなくなって久しく、庭木で半ば覆い隠されていることは、その後の使用目的には叶っていた。
建て替えられて間もない頃から、この家は、テレビドラマやAVの撮影用のハウススタジオになっていたのだ。
木々の目隠しは、ことにAVを撮影するときには好都合だった。
今から十四年前のことだ。
マネージャーに伴われて門をくぐると、鬱蒼と繁った庭木の陰に瀟洒な白い二階家があった。
なかなかの豪邸である。前の持ち主は裕福だったに違いないと思った。
「今朝ここに着いてからいきなりビデオカメラが故障して、今、ADに代わりを取りに行かせてるので、先に庭でパッケージ用の写真を撮影します」
着いて早々に制作スタッフからそう聞かされた。
衣装とメイクを整えて庭に出ると、薄暗さに驚いた。
師走だったが、抜けるような晴天の朝なのだ。空は明るい。それなのに、なぜ?
「木のせいだな」
とカメラマンが呟いた。
カメラマンと私とメイク係、監督の計四人で建物の周りを歩き、撮影に適したところを探した。
塀から外には出るなと言われていた。AVの撮影隊は、近隣住民に蛇蝎のごとく嫌われているからだ。
そこで、私たちは家と塀の間をうろうろした。
どこも冬だというのにやけに湿度が高く、陰気な雰囲気が漂っていた。
とくに家の裏手は、酷くじめじめして黴臭かった。そこの壁に、地面すれすれの高さで、横に長い嵌め殺しのガラス窓があり、屈んで覗いてみたら、半地下にバスルームがあって、バスタブが見えた。
そうこうするうち、幸い、撮影に適した場所を見つけることが出来た。
さっそく撮り始め、たちまち撮り終えた。
カメラマンが庭石をテーブル代わりにして道具を片づけはじめ、私たちは彼をそこに残して建物の中に入ろうとした――そのとき。
「あれ?」
声に振り向くと、カメラマンがカメラを手に顔を曇らせている。
「今、ちょっとそこに置いただけなのに。しまう前にもう一度チェックしようとしたら、なんか急に液晶が真っ黒に……」
「ビデオカメラに続いて、こっちもか!」
「いや、監督。もう一つのカメラは無事だし、データは保存されてるから大丈夫ですよ。しかし参ったなぁ。……やっぱり、このスタジオはヤバいな」
「知らなかったんですか? ここ、幽霊が出るって有名ですよ」
控室で、男優は声をひそめた。
「溜池監督はこういう話、嫌いでしょう? 聞かれたら叱られるかも」
「怖くて私が演技ができなくならないかぎり大丈夫よ。ねえ、何か知ってるなら教えてよ。すっごく興味がある!」
「そうですか。じゃあ話しますけど、まず、ここには半地下になってる変なバスルームがあるんですが……」
「あっ、そこ知ってる。さっき外から見たわ。裏庭の方よね?」
「そうそう。それで……あそこの窓から、女の人が覗くんです」
「ええっ? それって、覗き魔が近所に住んでるってことじゃない?」
「違いますよ。だって、逆さまになってるんですよ。その女の顔」
「怖っ!」
「そりゃもう……。上から髪の毛が下がってきたと思ったら、ニューッと、赤黒く膨らんだおばさんの顔が、おでこの方から現れてきて、飛び出した目でギロギロッと覗いてくるんだから、オシッコちびりそうになりましたよ」
「えっ、あなたが見たの?」
「ええ。前回来たときに一度。浴槽につかってたら……。それで、大慌てで風呂から出て、控室で他の男優に言ったんです」
「逆さになったオバサンが出たって?」
「そう! 黙ってると余計おっかないじゃないですか? そしたら、ここで同じオバケを見たことがあるっていうのが何人もいて、びっくりして……」
「他の男優さんたちも見てたんだ?」
「男優だけじゃなく、女優さんもですよ。しかも、バスルームのおばさんだけじゃなくて、これはそのとき人から聞いた話ですが、庭に、天辺が平らになった円い庭石があるんですが……」
「ちょっと待って。その石って、さっきカメラマンさんがカメラを一瞬置いたら、なぜかカメラが壊れちゃったヤツだと思うんだけど!」
「ああ、物を置いちゃダメですねぇ。座るのは、もっとマズイって言いますけど。体の具合が悪くなったり怪我したりするらしいですよ」
「へえ。なんでだろう?」
「あの石の上には、お爺さんが座っているんですって」
「うわぁ、『青頭巾』(※1)みたい! なんでそんなとこに?」
「知りませんよ。とにかく、幽霊だらけなんですよ、この家。二階の寝室にも若い女の幽霊が出るし、子供の幽霊を見たって人もいるそうです」
「ここで何があったのかしら? 一家心中?」
「さあ。わかりませんが、何かあったんでしょうね。地縛霊って知ってます?」
「うん。死んだ場所に取り憑いてる幽霊でしょ?」
「そうとは限らず、想い入れの強かった場所に憑くらしいですよ。この家は地縛霊だらけなんですよ」
そんな話を聞いたが、その後の撮影は、まずまず順調に進んだ。
代わりのビデオカメラを取りに行かされていた若いADが、戻ってきてほどなく、姿をくらましてしまったことは、トラブルのうちに数えられるかどうか……。
彼は、直前に制作された別のAV作品の撮影中も逃げ出していた(※2)。
しかもそれが初めてでもなく、この一年以上前のことになるが、火災で27名が亡くなった事故物件のスタジオで撮影したときも、仕事を途中で放りだして失踪している(※3)。しばらく後にひょっこり出てきたが、いなくなっていた間どこで何をしていたのか、また、なぜ消えたのかも、彼は説明できなかったのだった。
三度目の正直で、ついに懲りたのだろう。
件のADは、この直後、監督に辞表を提出して業界から去っていった。
AVに使われる手頃なレンタル料のハウススタジオやマンションスタジオには、事故物件が珍しくない。
霊感が強かったり臆病だったりする人には、AV業界は向いてないのかもしれない。
私自身は、この撮影のとき、怖いものは何も見なかった。
しかし、奇妙なことをまったく体験しなかったかと、そうでもない。
脚本に電話を使う場面が書かれていて、リハーサルのときに演技をしながら受話器を耳に当てたところ、「プーッ」と音がした。
本番でも、やはり「プーッ」と鳴っていた。
電話とはそういうものだという思い込みがあったから、そのときは別に何とも思わなかった。
ところが、その場面を撮り終えてから、この電話機はあくまで小道具であって、コードが電話回線に接続されていなかったことを知った。
音が鳴るわけがなかったのだ。
さて、今回、この稿を起こすにあたって、問題のハウススタジオがあった場所について少し調べてみたところ、興味深いことがわかった。
まず、私は一家心中事件がここで起きた可能性を疑った。
中年の女性、高齢な男性、若い女性、複数の子供の幽霊が出没するというのだから、そういう家族構成の一家が無理心中したのではないかと推理したのだ。
しかし、どれだけ調べても、そんな事実は出てこなかった。
また、ここでは、一家が皆殺しになるような殺人事件なども起きていないことも判明した。
ただし、この界隈では過去から最近に至るまで、奇妙な、あるいは残酷な事件がいくつか起きていることがわかった。
1988年、このハウススタジオから目と鼻の先と言える近くの路上で女子高生が誘拐された。少女は、翌年、東京都江東区の空き地でドラム缶にコンクリート詰めされた惨殺死体になって発見された。
1995年、地元の市議会議員が、同じ市内の病院に入院中に、病室のベッドの上で果物ナイフで腹部を刺されて死亡。発見時にはすでに亡くなっており、また、遺書なども無かったが、鑑識の結果、「自殺」であるとされた。
2013年1月、空き地を隔てた隣の二階建てアパートで、母子家庭の親子三人が無理心中。母親は35歳、子供は8歳の長男と6歳の長女。子供らを絞殺した後、母親は首を吊って自殺した。
今年10月、家の裏手の県道で、中年女性が車にはねられたうえ約60m引きずられて死亡する凄惨な轢き逃げ事件が発生。犯人は逃走し、現在も捜索中。
さらに、このハウススタジオについても、以前私が訪れたときには気づかなかった点を、あらためて二つ発見することが出来た。
一点は、家の敷地の角に、小さな祠(ほこら)が建てられていたこと。
土台などを見ると、新しいものではなさそうだ。
門や表玄関のある方とは反対側、つまり家の裏側にあり、しかも塀の外に建っているので、目に入らなかったようだ。
祠とは、神を祀る小さな殿舎のことで、小祠、小堂ともいう。
神の依り代、すなわち神の家。それが祠だ。
敷地の中の祠は「屋敷神」と呼ばれる家の守り神で、多くはお稲荷様だそうだ。
屋敷神は、通常、塀の内側に置かれる。
それに対して、ここの祠は塀の外側に、屋敷に背を向ける格好で建てられている。
そのことだけで、これは屋敷神とは別のものだと断じるのは軽率だろう。
しかし、もうひとつの理由から、私はこれは家を守るのではなく、別の目的で設置されたものに違いないと確信している。
その理由とは、あらためて気がついたことのもう一点、この家が四辻つに建っているという事実に根ざしている。
そう。このハウススタジオの敷地は、十字路で四分割された土地のうちの一つだったのだ。
しかも、残り三つは、飲食店の駐車場、空き地、個人宅の駐車場で、住居になることを避けたかのような状況なのだった。
――決してこの辻に留まってはならぬ。
そう警告する声が聞こえるような気がした。
ご存知のとおり、辻や三叉路には、よく祠が建てられている。
それは、古来より、辻はあの世とこの世の境目で、霊道があり、霊が多く集まってくる場所だという民俗的な伝承が存在することに因る。
霊は仏であり、神である。
だから、祠を建てて奉安するのだ。
問題の祠は、家の敷地の角に辻の方を向いて建てられている。
そこで私は、これは霊道に集う神を奉じる辻の祠に違いないと考えた次第だが、どうだろう?
前述した怪しい自死を遂げた市議会議員は、地元ではよく知られた郷土史家だったという。存命であれば、あの辻の祠の縁起を訊ねられるのだが。
ところで、神といっても、善いことを為すとは限らない。
とくに、辻に現れる神は危険である。
中国地方や九州地方には、「辻神」という伝承がある。
「辻神」は、辻に棲みつく魔物であり、災いを呼び寄せ、祟る悪神であるとされる。
九州南部や沖縄の島々には、辻、もしくは突き当たりの正面に「石敢當」という長方形の石を配置する習慣があるが、あれは、「辻神」が家に侵入するのを防ぐ魔よけの石なのだそうだ。
しかし、祠は魔よけではなく、神の依り代=家なわけで……。
ということは、つまり……。
(※1)『青頭巾』……江戸後期に上田秋成によって書かれた読み本作品『雨月物語』中の一篇。
『雨月物語』は日本・中国の古典をベースにした怪異小説9篇から成る。
『青頭巾』では、屍を喰らう鬼と化した僧を主人公の改庵禅師が解脱へと導く。
その際、禅師は僧を庭の石の上に座らせ、被っていた青頭巾をその頭に被せて、公安を授け、公安の句の真意を解くように諭す。
一年後、禅師が寺に戻ると、僧はまだ石に座禅を組んで公案の文句を唱えていた。しかし禅師が杖で頭を叩いたところ、たちまちその姿は崩れ、後には骨と青頭巾だけが石の上に残された。
(※2)第五夜『殺人ラブホテル』を参照のこと。
ラブホテルでのAV撮影中に怪異現象が次々に起こる。後に、殺人事件や変死事件が複数起きたことある、有名な心霊スポットだったことが判明。件のラブホテルは平成27年現在も営業中。AVのタイトルは『団地妻』。
(※3)第二夜『事故物件スタジオ』の松寿園のこと。AVのタイトルは『女教師』。
ちなみに、今回の話のAVのタイトルは『人妻昼顔』といって、2002年4月にリリースされた。撮影が行われたのは2001年12月〜2002年1月頃。
(文/Sirabee編集部)