えっ!パリダカじゃないの? 南米が新舞台「ダカールラリー」の今
30代後半以上のモータースポーツ好きな人なら心をときめかすに違いない「パリ=ダカールラリー」、愛称「パリダカ」。
パリ(フランス)をスタートし、サハラ砂漠などを走破してダカール(セネガル)にゴールしていたラリーレイド競技大会として知られていた。
初開催は1978年で、1990年代には三菱・パジェロが大活躍。SUV人気の火付け役ともなった。 2008年には通過する地域の政情不安から、スタート前日に開催を断念。このことが転機になって、2009年からは舞台を南米に移した。
南米では、新たにアルゼンチンとチリ、ペルーへコースを設定し、名称も「ダカールラリー」と改称。 ある種の華やかさをまとい続けた「パリダカ」の愛称は、もはや死語と化してしまった。
画像をもっと見る
■死と隣り合わせの競技
往時のパリダカは、1月1日にパリをスタート。レース日程は2週間ほどで、気候が厳しいサハラ砂漠や政情不安な地域1万2000キロを走破する過酷さから、完走率は5割以下だった。
1986年の大会では6名が死亡。1991年には地雷を踏んだドライバーが亡くなる不幸な事故もあった。
関連記事:【東京オートサロン2016】男子必見!美しすぎるコンパニオン写真集
■日本勢躍進の2016年大会
今年の大会は、1月3日にブエノスアイレス(アルゼンチン)をスタート。高度3500メートル級の山々が連なるアンデス山脈を越えて9000キロ余りを走破し、1月17日にロサリオ(アルゼンチン)へゴールするコースが設定された。
エントリーしたのは354台。モト部門では、コースが南米に移ってから日本人選手として初めて、三橋淳選手が完走を果たした。
カミオン(トラック)部門では、日野自動車「チーム日野」の2台が排気量10リッター未満のクラスで1位と2位を独占するワンツーフィニッシュを決め、同クラスで7連覇を達成。日本勢の活躍がめざましい大会となった。
関連記事:『釜飯』を一度も食べたことがないアメリカ人が試食!結果は…
■「若者の自動車離れ」ここにも?
形を変えながらも35年の長きにわたり「世界一過酷なモータースポーツ」であり続けた「ダカールラリー」だが、もはやその認知度は高くない。
アンケートサイト「マインドソナー」を用いた調査によると、現在の「ダカールラリー」が南米で開催されていることを知っている人はわずか13%ほどにとどまった。
若い年代で数値が低くなる傾向が見られるところは、いわゆる「若者の自動車離れ」がモータースポーツ界にも波及しているということなのだろうか。
若者にはぜひ、自らクルマを駆って、ダカールとまでは言わないがまだ見ぬ世界へのドアを積極的に開いてほしいところではある。
(文/しらべぇ編集部・上泉純)