川奈まり子の実話系怪談コラム 廃墟半島にて(前編)【第三十四夜】

伊豆半島のとある廃墟で起きた、世にも怖ろしく奇妙な出来事…。前編です。

2016/02/03 19:00

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伊豆半島は本州南東部に位置し、「花と海と出湯の街」が謳い文句の伊東をはじめ温暖な気候と豊富に湧く温泉で知られている。

が、その一方で、廃棄された無人建造物が多い地域でもあり、近年は廃墟マニアの間で「廃墟半島」「廃墟王国」と呼び称される土地でもある。


古来、「伊豆国」として東海道の一国を成していた伊豆地方は、第二次大戦前から保養地として人気が高く、戦後の高度成長期に花開き、80年代後半から91、2年頃にかけてのバブル景気の時代にその栄華は最高潮に達した。

転機は、その後のバブル崩壊だった。

バブリーな好景気のときに計画され建設された観光ホテル、リゾートマンション、贅沢な公園をはじめとする公共のあるいは民間主導の様々なインフラ。

それらが、計画の頓挫、資金繰り悪化による倒産などによって、雪崩の如く次々打ち捨てられることになった。


――私は、ある廃墟の前でロケバスから降ろされた。

1999年の夏の終わりのことだ。

私たちは、早朝東京を発ち、スタッフや出演者総勢10名ばかりでロケバスに乗り込んで、伊豆半島に行ったのだった。

今日は伊東の廃墟や屋外で撮影し、夜は熱海のホテルに泊まり、明日、帰京する。

そんな予定を聞かされていた。

いつものように、私は、撮影現場では相当、閑になる公算が高かった。

なにしろ、31歳の新人AV女優である。引退すべきときにデビューしたのは、如何にも無理があった。

売れるわけもなく、当時まだ本業だったライターの仕事の方が忙しかった。AVの方からたまにお呼びがかかることがあっても、主役を任じられることは非常にまれで、脇役とすら呼べるかどうか微妙な端役中の端役を務めてばかりいたのだ。

案の定、目的地に到着したとき午前十時にもなっていなかったが、私の出番はお昼頃になると制作スタッフから聞かされていた。

私の他にも2人の女優が出演していた。彼女たちのダブル主演作であり、私は出ても出なくてもいいような、草埋め的な役どころなのだった。

バスの中で休んでいてもいいと言われ、初めは持参した文庫本を開き大人しくしていたが、やがて、窓の外が気になりだした。

すぐ近くに廃墟がある。

ああいうものを見る機会は滅多にないと思ったら、もう我慢が出来なかった。

そこで、バスに戻ってきたスタッフを呼びとめて、「声が届く範囲でなら」という条件付きで、廃墟周辺を散策する許可を貰った。


ロケバスから降りると、真夏のような強い陽射しが照りつけてきた。

数十メートル先に、白っちゃけた灰色のコンクリートの塊がそびえている。

3階、乃至、4階……まで出来たところで工事が中断したのだろうか。建物の上に剥き出しの鉄骨が針山の針のように突き出して、どれも赤く錆びている。

基礎部が広いせいか、高さ以上に巨大に見える。

ホテルにしては単調な四角い形。学校や病院のようでもあるが、住宅地から遠く、海を臨むロケーションから察するに、リゾートマンションにでもするつもりだったのだろう。

外装に至る前に建設が中止され、何年間もそのまま放置されているようだ。


近づこうとすると、トランシーバーを持ったADが険しい表情で駆け寄ってきた。

「ああ、なんだ。川奈さんか。行っていいですよ」

私だとわかると行かせてくれた。

察するにゲリラ撮影なのだろう。そう思った。

つまり、どこにも許可を取らずに撮影している。

今では取り締りも厳しくなり、大方のAV屋はそんなことはしないが、2000年前後ぐらいまで、AV業界ではゲリラ撮影が珍しくなかった。

携帯電話はすでに存在したが、田舎へ行くと無線機の方が強かった当時だ。

そこで、何人かのADにトランシーバーを持たせて、撮影現場の周辺のそこここに立たせ、見張らせるわけである。近隣住民や警察が接近してきたら全員に知らせて、大急ぎで一時撤収する手はずで。

そんなわけだから、先刻注意もされたが、あらためて、遠くには行けないなと思った。

もっとも、あの廃墟に関心があるだけなので、別段、困らない。

建物の中に入っても構わないかとADに訊くと、物音を立てなければいいという答えが返ってきた。

「あっちの端の方で」と彼は廃墟の方を向いて、建物の左端を指差した。「撮影してるんですよ。だからあっちに近づかなければ大丈夫です……けど……」

彼は言葉を濁し、視線を私に戻した。

「川奈さんは怖くないんですか? 僕は、あの建物が妙に怖くて、見るのもいやなんですけど、川奈さんは大丈夫ですか?」 私は平気だと答えた。ADは「そうですか」と肩を落とした。

「きっと僕が臆病すぎるだけですね。さっきも監督に叱られちゃったんですよ。建物の中に入ったとき、背が高い男がフラフラしながらこっちを見てたからそう言ったら、誰もいないじゃないか、バカなこと言うなって」


――背の高い男がフラフラしながらこっちを見ていた?

なんだか、わけのわからない話だ。

首を捻りつつ廃墟に足を踏み入れた。

どこからか、潮の香を含んだ風が吹き込んできた。

なにしろ窓も嵌まっていないのだ。

階段、あるいは吹き抜け、はたまたダクトを取り付けるはずだったのか、天井のところどころにも大小の穴が開いている。

まるで、コンクリートで出来た骸骨のようだ。

海側に開いた巨大な矩形の穴から下を覗き込むと、草木に覆われた崖のような急斜面があり、下は海だった。

そして、私がいる地上階の下にも建物が続いていることがわかった。

傾斜地を利用した、地上側は低く、海側は階層を重ねた建物を造るはずだったのだろう。

全室オーシャンビュー。そんなキャッチフレーズが頭に浮かび、この廃墟の本来あるべき姿を想像した。

その途端、眼下にある蔦だらけの樹木に花束が引っ掛かっていることに気がついた。

事故が多発する道路沿いなどで見かける、地味な、そして不吉な感じのする花束だ。

私は後ずさりして穴から離れた。

花は枯れてはいたが、原形をとどめていた。

そう遠くない過去に捨てられた……あるいは、供えられた?

気配を感じて振り向くと、さきほどのADが建物の中に入ってくるところだった。

彼は小声で囁いた。

「見つけちゃいましたね。でも、そこだけじゃないんですよ。他の場所にも花束が……。ここは自殺するにはもってこいの場所ですよね。本当は立ち入り禁止だから、誰も入って来ないし、眺めもいいし……」


ちなみに、この廃墟は、廃墟愛好家の間で「軍艦マンション」という渾名で呼ばれ、私たちがゲリラ撮影に参じていた前後には容易に侵入できたようで、インターネットで多数、写真が公開されている。

今回、この稿を起こすにあたって調べたところ、建設が中止されたのは、93年のことだそうだ。建設当時の正式な建物名や当時のマンションの利権主(故人。2005年に逝去)の氏名も判明したが、ここには記さない。

と、いうのも、現在、あらたな施主のもとで解体・建て替え工事の計画が進行中なのだ。

そのため、今では関係者以外は敷地に入ることが出来ないようになっている。

私は、あの場所に、つつがなく生まれ変わってもらいたいと願っている。


花束があるからといって、それが死者の証とは限らないではないか。

前にもゲリラ撮影した連中がいるのかもしれない。

撮影が済んだとき、AV女優に花束を渡すのも、そのせっかく貰った花束をAV女優が邪魔になるからとこっそり捨てていくのも、よくある話だ。

――と、思ってはみても、いったん気味が悪いと思ってしまうと、ちょっとした物音や影がすべて怪しく感じられてきてしまうものだ。


さて、件のADは、私を呼びにきたのだった。

「ロケバスでメイクさんが呼んでます」と言う。

そこで、これ幸いと建物を出た。

ろくすっぽ探検しないうちに冷や水を浴びせられたようになったことは残念だったが、思っていたより早く出番が来そうなのは幸いだ。

昼頃と言っていたのに、と思っていたら、考えていたことが顔に出ていたようで、訊きもせぬのにADが説明してくれた。 「前のシーンの子がお腹が痛くなってしまったので、少し休んでもらうことにしたんですよ。朝は元気だったのに、急に……。彼女も、ここが怖いと言ってましたよ。なんか、壁に映った影が揺れているとか言って……」

ロケバスに戻る途中、廃墟を振り返ると、さっき私が外を見ていた矩形の大穴が出入り口を透かして見え、その前に背の高い人影があった。

逆光で漆黒のシルエットになっており、目鼻も服装も見えないながらも、ズボンを穿いた男性のようだということはわかる。 ――フラフラと。

――影が揺れている。

黒いシルエットは、止まる寸前の振り子のように、かすかに揺れていた。

身長が高いというか、喉首がやけに細長い。

百メートルも離れていなかったと思う。私は立ち止まり、向き直り、目を細めて、それをじっと見つめた。

すると、ロケバスの方に行きかけていたADが私を呼んだ。

「どうしました? 早くした方がいいですよ」

気のせいだとメイク係は言った。

ロケバスの中である。

ADはまたどこかへ行ってしまい、私はすぐにメイクを直してもらいはじめたのだった。

「何にもありゃしませんよ」

「でも、見てごらんよ」

しつこく促すと、メイク係は大儀そうに腰をあげて、廃墟寄りの窓に近寄った。

私もそちらに移動して、隣に並び、あの辺りへ目をやった。

例のシルエットは、まだ同じ位置で揺らめいていた。

「ほら。あそこに背が高い人が……」

私が言い終わらないうちに、メイク係は無言でカーテンを閉めた。

そしてメイク直しをしていた元の場所に私を引っ張っていき、肩を掴んでシートに座らせた。

真正面から私の顔を覗き込む。

その表情が尋常でない緊張に囚われていて、恐ろしかった。

「川奈さんは視力いくつ?」

「0.1。だけど今はコンタクトレンズを入れてるから0.7ぐらい?」

「私は凄く目が良くて、裸眼で2.0なの。それで、さっきのもよく見えたんだけど、あれ、背が高いんじゃなくて……あれは首吊ってるから!

首を吊ると、頚部が長く伸びてしまうのだという。

ふらついているのではなく、風に揺れていたのだ。

(後編に続く)

(文/川奈まり子

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