KAT-TUN活動休止…脱退者がでるグループにはある傾向が?
ジャニヲタ歴30年のナンシー関ヶ原です。
残念ながらグループ活動休止が発表されたKAT-TUN。このグループは、事務所から解任された田中聖くんのほかに、自主的に脱退するメンバーが2名も出たことになります。
なぜKAT-TUNはこれほどまでにメンバーがやめるのか? 理由を探ってみましょう。
■立て続けにCDデビューした同期3組
CDデビュー前のジャニーズタレントが「ジュニア」と呼ばれテレビで活躍した1990年代後半。ジュニアで人気があったタレントがどんどんCDデビューしました。まずは嵐が、続いてタッキー&翼です。
そのあとは、NEWS(2003年)→関ジャニ∞(2004年)→KAT-TUN(2006年)とCDデビューが続き、まさに同期3組といった感じだったのです。
しかしおよそ10年がたった今、関ジャニ∞は自主的な脱退者0名に対し、KAT-TUNは自主的な脱退者が2名。その差はどこにあるのでしょうか?
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■デビューシングルの売り上げが多さが影響?
KAT-TUNはCDデビュー前年に、亀梨和也くんと赤西仁くん(後に自主的に脱退)が出演したテレビドラマ『ごくせん』が大ヒットして知名度が高まっていました。デビュー前に東京ドームでコンサートをする人気ぶり。
翌年2006年、作詞スガシカオ、作曲はB’zの松本孝弘という大きな予算をかけたデビューシングル『Real Face』は105万枚の大ヒットとなったのです!
一方の関ジャニ∞がCDデビュー前に出演していたのは、関西ローカルとテレビ東京の深夜番組くらい。しかもテレ東の番組は『裏ジャニ』という怪しいタイトル。初回放送で横山裕君が全身タイツ愛好家パーティーに潜入するといった悪ノリ内容!
お茶の間への知名度があがらないまま、演歌調のデビューシングルを発売。売り上げは18万枚でした。演歌でそれだけ売れたらヒットといえますが、当時破竹の勢いだったジャニーズ事務所にとって、この枚数は成功とはいえなかったはずです。
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■共同生活や「劣等感」が結束を高める?
関ジャニ∞はCDデビューした直後も東京のテレビ仕事が少なかっため、メンバーのほとんどが関西の実家に在住していました。たまに東京の劇場で1か月ほど舞台をするときは東京の合宿所で共同生活をしていたといいます。
また、関ジャニ∞は47都道府県の小さいホールをまわるツアーも行いました。CDデビュー後のグループが47都市をまわる必死なツアーを組むのはもちろんジャニーズ事務所初。ツアーは5か月におよび、共同生活する時間も長かったようです。
関ジャニ∞の錦戸亮くんは「後輩のKAT-TUNが24時間テレビのメインパーソナリティをやっていたのをツアー中の楽屋で見て劣等感を覚えた。そういう感情をみんなで共有したのが関ジャニ∞においてはデカい」と雑誌AERAにコメントをしています。
メンバー全員で合宿所で寝食を共にしたり、くやしい思いを共有したことがメンバーの仲間意識を高め、自主的脱退者を出さない要因になったといえるかもしれません。
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■B型メンバーが多いと、脱退者が増える?
血液型が人格形成に直接関係しないことは医学的には証明されています。しかし、日本では血液型信仰があつく、小さいときから「あなたはO型だからこういう性格だ」といわれ続けて、性格形成へ影響を及ぼしているという説も聞きます。
もしかしたら、自主的脱退者を出しやすい血液型分布があったりして? じつはKAT-TUNと関ジャニ∞で血液型分布にも大きな違いもあるのです。KAT-TUNはデビュー当時の6人中、なんと半数がB型! A型がひとりもいないという驚異のグループ。一方の関ジャニ∞にB型は1人もいません。A型は3人もいます。
血液型の話は冗談半分ですが、「グループが長く続くのはとても難しい」ということ。KAT-TUNファンの方へ、悲しみの祈祷をささげたいと思います(合掌)
(取材・文/しらべぇ編集部・ナンシー関ヶ原)