【川奈まり子の実話系怪談コラム】劇場のサヨコ【第三十七夜】

2016/03/30 19:00

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昨年の夏の盆の入り前後に、拙著『赤い靴』が舞台化され、演劇『あかいくつ。』として阿佐ヶ谷の小劇場で上演された。

私と『赤い靴』の担当編集者は四日間の上演期間中、毎日、会場に足を運び、閉演後は毎度、出入り口の真ん前にセットした物販コーナーに陣取って、拙著の販売やサインに対応した。

私の担当編集者は佐藤さんという女性で、彼女は二十代の頃、この小劇場で働いていたとのこと。

公演が決定するとすぐ、佐藤さんは私にこんなことを話した。

あそこにはサヨコさんという若い女性のオバケが棲んでるんです


面白い偶然もあるものだと思った。

原作の『赤い靴』は残忍な殺人場面や心霊現象、狂気などを織り込んだホラー小説で、当然のことながらお芝居の方にも幽霊が登場し血のりが使われる。

たまたま怪談話のある劇場で怖い話を上演することになり、そのうえ佐藤さんはそこで働いていたのだという。

しかも盆の入り。これは怖い話に涼を求める人々の来場を当て込んだ主催側の思惑のせいだから偶然ではないが、同じプロデューサーが手掛けた前作は外薗昌也先生の実話怪談を原作としたお芝居で、その会場では怪奇現象が頻発したというではないか。

今度も何か起こりはしないかと、私は大いに期待していた。


佐藤さんによると、サヨコさんは気に入らない劇団が来ると舞台にネジを落としたり、他にも何かと小さな悪戯をしたりするので、知っている人は知っている、舞台業界では有名なオバケなのだという。

私がネット検索して確認してみたところ、たしかに、「サヨコさん」という名前こそヒットしなかったが、件の小劇場の名前とそこにまつわる怪談めいたエピソードはいくつか発見できた。

たとえばこんな話だ。

トイレに誰か入ったのを見て、皆でトイレ待ちをしていたが、なかなか出てこない。しびれを切らして、誰が入ったのか犯人捜しをしてみたら、全員がその場に揃っている。

確かに見たと思ったのに、結局、トイレには誰も入っていなかったのだ。

あるいは、公演中に毎回、音響トラブルに見舞われる。

またあるいは、急に照明が消えて慌てていると、本格的な大騒ぎになる前に、元通り点灯する。

他には、公演直前の舞台稽古中そこにいる頭数の分だけ弁当を買ってきて配ってみたら1つ余ったといった話も見られた。

これなどは「10人しかいないはずが人数を数えると11人いた」等という典型的な怪談小噺で、特にこの手のは「座敷童子」系の話に多い。

時折、子供の悪戯めいた悪さをするところも座敷童子を思わせる。

また、嫌いな劇団に意地悪をする一方で、稽古や準備の最中に怪奇現象が起きた芝居は成功するとも言われていて、守り神的な性質を備えているようでもあって、そんなところも座敷童子らしい。

ネットではサヨコさんの目撃談も散見できたが、佐藤さんは一度も見たことがないと言った。

「毛布を被って舞台に泊まり込んだこともありましたが、何にも起きませんでしたね」

それを聞いて私は、昔、父と2人で座敷童子が出るという旅館にわざわざ泊まりに行ったときのことを思い出した。

丑三つ時に枕もとでゴソゴソ物音がしたので、いよいよ現れたかと勢いよく飛び起きたら、すぐそばでドスンと何かが倒れた。

急いで明かりを点けたら父が尻餅をついており、私を見て「なんだ、お前か」。

尿意で目を覚まし、寝ぼけ眼で電気のスイッチを探して這いまわっていたら、なんの前触れもなく突然布団が跳ね上がったので驚いたということだった。

伝説に出遭うのはかくも難しいものなのだ。

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そのうち、公演初日を迎えた。

私と佐藤さんはサヨコさんを見られないかしら、ぜひ見たいものだなどと話しながら、出入り口に近い観客席の上段の隅に並んで腰かけた。

閉演直前に抜け出して物販コーナーに戻るためにその場所を選んだのだが、座ってみたら、客席のほぼ全体を俯瞰できることに気がついた。

やがて開幕。お芝居はだいぶ脚色されていたが、それはそれでとても面白く、お客さんたちの反応も上々で、私自身も楽しめた。

お芝居が終わり、出演者さんたちが挨拶をしはじめたあたりで、私と佐藤さんは会場を抜け出した。物販コーナーの準備は開演前に整えておいたから、あとは会場から出てくるお客さんたちを待てばよい。

物販コーナーといっても細長い机の上に品物を並べて、その後ろに椅子を2つ並べただけの簡単なものだ。

私は会場の出入り口を見つめて待機した。出入り口はここ1つしかないから、私たちの前を通らずに帰ることは誰にも出来ない。


さて、初日は何事もなく終わった。二日目も三日目も、サヨコさんは現れなかった。 そして四日目、千秋楽の夜を迎えた。

これでお終いだと思うと感慨深く、私と佐藤さんはいつもより少し早く会場に入り、観客席の例の位置に着いて、お客さんたちを待った。

間もなく開場して、出入り口が開き、次第に座席が埋まりだした。

そのうち、二人目か三人目、もしかするともう少し後かもしれないが、かなり早いうちに入ってきた観客のうちの1人が真っ赤な袖なしのワンピースを着ていて、目を惹きつけられた。

ほっそりした若い女性である。艶のある黒髪を肩甲骨のあたりまで伸ばして、姿勢が良い。顔は見えなかったが、おそらく美人なのだろう。自分の容姿に自信がなければ、あんなに派手な色味の服を堂々と着こなせるものではない。

女優さんかな、と思った。

『あかいくつ。』の主演と準主演の女優さんたちは元アイドルで、初日からこの日までに、アイドル時代の仲間や友だちの女性たちが何度か観に来ていた。

皆揃って、そこらへんでは見かけられない美貌の持ち主ばかりだったのだ。

さすがプロは違うと思っていたが、ああいう女の子たちのうちの誰かが、また来てくれたのかもしれない。

たぶん、『あかい…』というタイトルに引っ掛けて、わざわざ赤い衣装を選んで着てきたのだろう。面白い人だ。洒落っ気と自己顕示欲の混ざり方が、なんとなく女優向きだという気がする。

ふと気づくと、私の横で佐藤さんも彼女に注目していた。

赤いワンピースの女性は、私たちがいる側とは反対側の端の、前から三列目あたりに腰を下ろした。

色白の肩から二の腕と綺麗な髪の毛しか見えないが、きちんと背筋を伸ばして座っている。この姿の良さはやっぱり素人のものではない、と私はひそかに考えた。

お芝居が始まると一時彼女の存在を忘れたけれど、終わると再び思い出し、物販コーナーに行く前に、その姿を探さずにはいられなかった。

この日は、私たちも最後まで出演者の挨拶を聴いた。従って、すでに舞台の上では劇団のスタッフが物販コーナーの案内をアナウンスしはじめていた。

帰り支度をしはじめた人々も多く、もう客席はだいぶざわついていたから急いで物販コーナーに着かなければならなかった。

しかし赤いワンピースはよく目立ち、私はすぐに彼女を見つけることができた。 最後に見たとき、彼女はまだ座って、舞台の方を眺めていた。


その後、私と佐藤さんは、物販コーナーに座って、お客さんたちを出迎えた。

次々と人が出てきては去ってゆく。そのうち幾らかは私たちの前で足を止めて、原作本を買ったり、DVDの購入予約をしたり、あるいは私にサインを求めたりしてくれる。

はじめのうちは忙しく対応していたが、だんだん帰り客の間隔が間遠になって、やがて途絶えた。

あとに残ったのは舞台関係者のみ。

佐藤さんと私は顔を見合わせた。

「おかしいですね。川奈さんは、客席に赤いワンピースを着た女の子がいたのを憶えてますか?」

「いましたよ。佐藤さんも気がつきましたか?」

「ええ。出てきてませんよね? 変だなぁ。ここを通らないと帰れないのに」

観客席や舞台では、劇団の人たちが打ち上げの準備をしはじめていた。

赤いワンピースの女性の姿はどこにも見えず、その場に居た誰に聞いてもそんな人は知らないと言った。

以来、佐藤さんと私の間ではあれはサヨコさんだったのだということになって今に至る。


では、いつもサヨコさんは赤いワンピースを着ているのかというと、そうではないだろうと私は思っている。

サヨコさんがいる小劇場での怪異目撃談には、子供たちを見たというものもある。

劇団の演出部のスタッフが、セットの裏にスタンバイして切っ掛けを見極めるために覗き穴から舞台を覗いたところ、誰も居ないはずの舞台の上で子供たちが遊んでいたのだという。

座敷童子は通説では5、6歳くらいの子供だとされているが、憑いた家により姿かたちが異なるともいい、十代の少年少女の格好を取ることもあるのだとか。

性別が不明な場合もあれば、独りではなく複数の場合も、黒い獣や侍の姿を取っていたという伝承もあるそうだ。

本来、神や精霊には形が無く、座敷童子もまた、きまった姿を持っておらず、ただ、見る人の心に寄り添う姿かたちを取るのではないか。

もちろんこれは私の推測に過ぎず、サヨコさんは舞台に恨みを残して死んだ女優の幽霊で、座敷童子の仲間ではないかもしれない。

座敷童子を見た人には良いことがあるというので、願望を込めて、そうだったらいいなというだけの話である。

柳田國男の『遠野物語』の17話には座敷童子を指して「この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり」と書かれているから、あの劇場のためにも、ぜひ、地縛霊ではなく座敷童子であってほしいと思う次第だ。

(文/川奈まり子

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