今夜の予習!NHK『真田丸』の山場「上田合戦」って何?
歴史ドラマは、史実をもとに描いたものであれば、結末は決まっている。今年のNHK大河ドラマ『真田丸』なら、堺雅人が演じる主人公、真田信繁は大阪夏の陣で討ち死にし、徳川家康(内野聖陽)が天下を取る。
その決まった事実をどう演出するかが、つくり手の腕の見せどころ。今日4月3日に放映される第13話「決戦」は、真田家が関わる史実の中でもっとも有名なエピソードのひとつだ。
そこで、今夜はドラマに集中できるよう、歴史をおさらいしておこう。
■徳川の大軍を真田が打ち破った「第一次上田合戦」
もともと武田勝頼に臣従していた真田家は、武田家が織田信長に滅ぼされた後、生き延びるために北条、徳川、上杉…と次々と主を変える。
裏切られて業を煮やした徳川家康は、天正13年(1585年)、自らが真田昌幸に築かせた上田城に約7000と言われる大軍で攻め寄せる。
上田城は、長野県北部に位置する交通の要衝。攻める大将の鳥居元忠は、後に関ヶ原の前哨戦、伏見城の戦いで壮絶な討ち死にを遂げた猛将だ。
守る真田家は、草刈正雄演じる昌幸が知勇を兼ね備えた謀将とはいえ、兵力はわずか2000。同盟する上杉家も国力が疲弊しており、たいした援軍は期待できない。まさに絶体絶命の戦いと言える。
関連記事:『真田丸』はコミカルすぎ?史実に沿わない大河ドラマを検証
■「ひきつけて討つ」真田流の真骨頂
押し寄せる徳川の大軍に対して、父・昌幸は上田城に、大泉洋が演じる長男・信幸は近くの砥石城に籠城。上田城に攻めかかる徳川軍に対して、真田の前衛は早々に城内へ撤退。
勢いをかった徳川方は、城の二の丸まで攻めこむが、じつはこれ、昌幸が仕掛けた罠。大軍が活かせない城内に引きずり込まれた徳川軍は集中攻撃を受けた上に、城下町を火攻めにする作戦で退路を断たれ、混乱状態に。
そこへ城内からは昌幸の手勢が、砥石城からは信幸勢が追撃し、徳川軍は壊滅。近くの神川で溺れ死んだ者を含めると1300名もの死者を出したという。一方の真田方の死者は約40名という圧勝劇だ。
関連記事:信濃が舞台の『真田丸』 幸村の子孫が宮城県にいる理由とは
■この遺恨が二度の戦いにつながる
当時、羽柴秀吉とも対峙する大大名だった徳川家を破った真田家は、地方豪族から「信濃の大名」として地位を固めてゆく。
慶長5年(1600年)、関ヶ原へ向かう徳川秀忠軍を足止めした第二次上田合戦でも、徳川軍はふたたび「ひきつけて討つ」 真田の戦法で煮え湯を飲まされることに。
そしてドラマのタイトルともなった「真田丸」は、大阪冬の陣で大軍をひきつけて集中攻撃するため、大阪城の南側に信繁がつくらせた出城だ。徳川軍は、最後まで真田の戦い方に手を焼き続けたと言えるだろう。
こうした歴史を三谷幸喜の脚本は、いかに描くのか。史実では登場しない、主人公・信繁の関わり方にも注目したい。
(文/しらべぇ編集部・タカハシマコト)