『真田丸』ではスルーされた高須克弥氏の先祖がスゴい
家康から「高須」という苗字を与えられ、医業の家系として地域の人々の健康を守ってきたそうだ。
美容整形業界に君臨する高須克弥氏。 「あの人の顔は35万円で治せる」とあけっぴろげな整形の解説、漫画家の西原理恵子氏との熟年恋愛、秘密結社「フリーメイソン」のオープンな紹介など、なにかと話題が多い。
そんな高須氏だが、代々医業に携わってきたルーツが戦国時代にあることをご存知だろうか?
■ 「本能寺の変」の直後、逃げていた徳川家康に…
戦国時代、武士は仕えていた主君から、もっと有望な主君にうつることは当然のことだった。「本能寺の変」のように、家臣が主君を裏切り上り詰める下剋上もある。
天下統一まであと一歩だった織田信長は、家臣の明智光秀の謀反によって京都の本能寺で自害に追いこまれた。この事態に慌てた武将のひとりが、そのときに堺にいた家康である。
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■ 家康の居城は高須家の地元の「愛知県三河地方」
本能寺の変の直後、家康は愛知の岡崎にある居城へと帰路を急ぐはめになる。光秀に狙われる恐れがあったからだ。
『真田丸』(NHK)では、家康が必死に逃げる姿を俳優の内野聖陽が滑稽さも滲ませ演じてみせた。ドラマではここまでだったが、じつはその道中、高須家の先祖の小四郎という人物がケガをした家康を介抱した逸話がある。
その後、小四郎は家康から「高須」という苗字を与えられ、医業の家系として地域の人々の健康を守ってきたそうだ。
現在、高須氏の寄付や出資が頻繁にニュースになる。最近は水不足に苦しむパラオへの支援を始めたようだ。時代は変われども、こうした精神は今もなお受け継がれているようである。
(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部)