なぜ物資は行き渡らない?「軽輸送」の不備が招く混乱
大地震に見舞われた熊本には、今も続々と支援物資が送られている。
だが、それが避難所になかなか行き渡らないという。たとえば米と飲料水は充分だが、仮設トイレが足りない避難所もある。かと思えば、トイレは問題ないが飲料水が不足している所も。
この現象は、東日本大震災の際にも見られた。つまりあの巨大災害から5年も経ったのに、そうした面の改善は十分に行われてこなかったということだ。
■輸送には2種類ある!
戦争と災害は、膨大な量の物資を必要とする現場に、補給路をつなぐという点で非常によく似ている。そして、軍隊の中では同じ輸送任務でも、「重輸送」と「軽輸送」という2種類が存在する。
後方から前線の物資集積所まで、大量の物資を一括して運ぶのが重輸送だ。これには鉄道や飛行機も使用される。だが当然ながら、それで終わりではない。集積所から戦線の最前列に位置する戦区まで物資を送らなければならないのだ。
集積所を中心にあちこちへ物資を分配する、その役目を担うのが軽輸送である。すなわち、熊本の被災地では軽輸送の面で問題があるということだ。
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■集積所の先へ
軽輸送が機能しなくなると、現場は過酷な状況に追い込まれてしまう。
その例が第二次世界大戦のドイツ軍だ。1941年6月、ドイツ軍はロシア侵攻作戦『バルバロッサ』を発動。装甲師団を中心とする兵力でソビエト連邦を一気に押し潰す戦略に打って出た。
1日に数十キロの進撃を行なうこの作戦は、それ故に大きな障害が発生した。ドイツとソ連とでは、鉄道の線路幅の規格が異なるのだ。しかもソ連軍は自国の鉄道車両を東部に疎開させてしまったため、ドイツ軍は線路をすべて敷き替えるという作業を余儀なくされた。
当然、その作業の間にも前線は補給を要求する。ドイツ軍は結局、軽輸送部隊の車両と人員を重輸送任務に回すことでその場を凌ごうとした。ところがそれは、軽輸送網の零細化を呼び起こしてしまう行為だ。
各戦区では物資運搬のための車両と人手が不足し、やむを得ずナポレオン時代と大差ない馬車が登場することになった。
よく歴史教育の現場では「この時のドイツ軍は冬季装備を用意していなかった」と解説されている。だが、それは間違いだ。冬季装備は充分にあったが、それを集積所から戦区まで輸送する手段がなかったのである。
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■計画的な物資輸送を
このように、軽輸送を無視した戦争はまず成立しない。そして、これは大災害後の避難生活にも当てはまる。
軽輸送は、単に「機動性の高い車両で物資を運ぶ」ということに留まらない。そうするためには、高いレベルでの統率と交通整理が必要だ。各車両が無造作に動けば、道路は大混乱に陥る。
非常時こそ、物事は計画的であるべきなのだ。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)