チリ産サーモンは本当に危険?環境保護家の過激発言を検証

社会

2016/06/01 05:30

Staras/iStock/Thinkstock
Staras/iStock/Thinkstock

しらべぇでもすでに取り上げた「チリ産養殖サーモン」の記事は、未だ批判が殺到している。執筆者である菊池木乃実氏は、公表している経歴からして海洋水産関係の専門家ではないようだ。

また、記事執筆の姿勢そのものにも疑問符が浮かぶ。問題になったハフィントンポストの記事は公開後にも更新されているが、こうした社会時事を取り扱うweb記事の場合はあとから追記・編集した部分を明確にしなければならない。

そして、チリで今年発生した赤潮についての記載は「養殖場のサーモンの死骸を捨てて、海を汚染させたから」としているが、チリ政府は「エルニーニョのため」という見解を出している。

たしかに議論はあるが、それならそれで双方の論調を紹介するべきだ。「自分はこの論調が正しいと思うから、これしか記事内では紹介しない」というのは不公平極まりない態度である。


■「自然保護」ブームの90年代前半

90年代前半、こうした「過激な自然保護活動」と「それに関連する言動」がブームになった。この時期は日本でも世界でも、「自然の中で住むことが健康にいい」という一種のムーブメントが巻き起こった。

映画『フリーウィリー』の公開は1993年だが、この作品は「シャチやイルカなどの海洋哺乳類は人より頭がいい」という印象を大衆に与えた側面もある。クリスチャン・ラッセンの絵画がもっとも流行したものこの頃だった。

だが今考えれば、とても冷静とは程遠いような言論が飛び交っていたのも事実。ここではかつて言われていた自然保護活動家による「無茶な提案」を、項目に区切って紹介したいと思う。


➀水族館のシャチやイルカは、すべて自然に返すべきだ!

これは先述の『フリーウィリー』公開の際にも言われていたことだ。映画に出ていたシャチの「ケイコ」は、水族館の動物である。

野生のシャチを映画に出すわけがないのは当然だが、ともかく巷では「なぜケイコが水族館の中にいるんだ。野生に戻すべきだ!」という声が高まった。

結局、ケイコは外洋に移されたものの野生の群れに加わることはできなかった。ケイコには発信機を取り付けていたため学術的調査の面で大きく貢献したが、人間の飼育下で育った動物は細かい段階を踏まなければ自然に戻ることはできない。


➁ゴルフ場は自然を破壊するから、ゴルフそのものを禁止しろ!

結論から言うと、これもまったくの誤解だ。初めてゴルフ場に言った人は、誰しも木々の意外な多さに驚かされる。これは「残置森林比率」というものが自治体の条例で定められているからだ。

そもそも、「ゴルフは平原でやる」という認識からして間違いである。ゴルフには「OB」というものがあり、そこは早い話が森の中。ゴルフというスポーツは、森がなければ成立しないのだ。


➂観光開発計画はすべて絶対悪!

バブル時代、金余りの建設業者が土地を買い占めてリゾート地を粗製濫造したことがある。その最大の被害地域が山梨県の清里高原だ。

この場所には、今も放棄されたリゾート施設が多く存在する。バブル期の乱開発が、のちの時代に負の遺産を残しているのは事実だ。

だが、だからといって「観光開発計画は自然破壊にしかならない」という言説は成立するだろうか?

清里のアンチテーゼとして、大分県の温泉地由布院が挙げられる。由布院は当初から「自然との調和」をテーマにしたリゾート地で、またバブル期の無造作な開発事業に立ち向かったという歴史もある。

「自然保護と観光開発は共存しなければならない」という信念のもと、東京から押し寄せる地上げ屋に対し「潤いのあるまちづくり条例」を制定することで対抗した。その結果、バブル崩壊後の由布院が「ゴーストタウン」と化すことはなく順調な集客を誇った。


このような極論を言う自然保護活動家は、もはや少数派。その事実は、ここで強調しなければならない。ある活動家は由布院のようなモデルケースが理想と述べ、さらに企業と地元住民との協調が問題解決につながるとも発言している。

だが逆に言えば、「極論を述べる活動家」は90年代前半あたりから時計が止まっているということにもなるのだ。我々大衆は、こうした「片隅に潜む極論」に警戒を目を向けなければならない。

・合わせて読みたい→ハフィントンポスト「チリ産サーモンは危険」記事にデマ批判

(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一