【川奈まり子の実話系怪談コラム】犬の首【第四十三夜】

2016/07/06 19:00

sirabee20160706kawana43

昔から、蠱毒というものに関心がある。子供の頃に川原で犬の頭骨を拾ったことが遠い原因になっているという気がする。


私が小学校の3年生のときだから、1976年のことだった。季節は夏、7月上旬だったと記憶している。


当時私は埼玉県の坂戸市北坂戸というところに住んでいた。町内には田畑が多く、あぜ道を辿っていくと、たいがいは小川の土手にぶつかった。^

この辺りには、入間川の支流が木の枝か、さもなくば手の指のように分かれた格好で流れており、町はあちこちで水の流れによって分断されていた。

町内のどこを歩いていても、風向きによって、ふと川藻の匂いが鼻先をかすめた。

私の心象では、その匂いは緑色をしている。浅瀬で岩に絡んでいる藻の色であり、淀んだ渕の色だ。

町の空気は常に湿り気を帯びており、そのおかげか、世田谷に住んでいた頃には酷かった慢性の気管支炎が、ここに引っ越してきたら、あっという間に治ってしまった。

もっとも、それは四十年も前のことであり、現在の北坂戸がどうなっているか私は知らない。川は、暗渠になったところも多いのではないか。

グーグルビューで今の北坂戸を眺めてみたら、あれほど多かった田んぼや小川を探すのに苦労した。

太い川は在るが、毛細血管みたいにあちこちに走っていた小川が見当たらない。水田も、かなり町はずれまで行かないと残っていないようだ。

私が通っていた北坂戸小学校は2016年2月に閉校して、隣の学区の小学校と統合されていた。生徒数が1,000人を超すマンモス校だったのに。

少女時代の一時期を過ごした、緑色に匂う景色はもうどこにも無いのだ。

北坂戸に住んでいたのは小学校1年生から3年生の終わりまでだが、あの3年間がまるごと夢の中の出来事だったような心地もする。


ともあれ、9歳になる手前の頃の私は、その日、学校から真っ直ぐ帰らずに、ランドセルを背負ったまま、近所の川辺に遊びに行った。

のんびりした時代のことで、今と違って家も学校も寄り道を禁じていなかったから、そんなのはよくあることだった。

私の横には、産婦人科のよし子ちゃんという友だちがいた。よし子ちゃんは同級生で、1年生のときからの親友だった。


よし子ちゃんのうちは産婦人科の医院を経営していた。登下校する道の中間あたりに、田畑に囲まれて孤高を誇示するかのような白亜の御殿――4階建ての産婦人科医院のビル――があり、その4階がよし子ちゃんの家だ。

小学校低学年の頃の私の目には、よし子ちゃんの産婦人科医院は童話のお城のように見え、お城に住む彼女は必然的にお姫様として映った。

よし子ちゃんが市販のワンピースを普段着にして、毎月、美容室で髪をカットしてもらっているといったことに、いちいち私は感動を覚えていた。

母の手製の服にも裁ちばさみでジョキジョキ切られたおかっぱ頭にも不満はなかったが、よし子ちゃんの日常はまぶしい憧れに満ちていた。


そうそう、よし子ちゃんは、駅前の薬局では売っていない種類のトローチや、何かわからないピンク色の糖衣錠をたまにくれたっけ。

宝物を下賜されるように感じて、有り難く味わっていたものだが、それらは病院の倉庫から盗んできたものだったことがのちにわかった。

――想い出がどんどん脱線していきそうな気配なので、話を元に戻す。


7月の川辺には風が吹きわたっていた。草に覆われた土手を駆け下りて、川べりを探検していると、腰かけるのにちょうどよさそうなてっぺんが平らになった大きな石が先方に見えた。

椅子のような石だが、岸から2メートルぐらい離れているので、釣り人が腰かけるには向かない。その辺には他に大きな石は無く、どこかから持ってきたようにも見えた。

石の上に白木の箱が乗っていることに気づいて、好奇心にかられて近づいた。

千疋屋の高級マスクメロンが入っているような四角い箱で、蓋はついていなかった。ひょい、と中を覗くと、何かの動物の頭の骨が入っていた。

下顎もついており、綺麗に肉が落ちている。上下の歯が揃っていて、犬歯が尖っていた。

臭いもせず、乾いていて、一見して清潔な感じがしたので、私は箱に手を突っ込んで骨を手に取った。

よし子ちゃんが悲鳴をあげた。

「やめなよ。よく触れるね」

私は平気だった。それどころかわくわくしていた。お宝を見つけたと思っていた。

体の方もないものかと、あたりを探したが、あるのは頭だけだった。

頭蓋骨が置かれていた石のそばに、炭と焦げた木端が落ちていて、誰かがそこで火を焚いたようだとわかったが、気がついたのはそれだけだった。


私とよし子ちゃんは小学校に取って返した。私はこれを持ってかえりたくもあったのだが、よし子ちゃんの「絶対、お母さんが捨ててきなさいって言うよ」という現実的な指摘に納得し、協議の結果、とりあえず先生に頭蓋骨を見せようということになったのだ。

下校から30分と経っておらず、私の担任の先生はまだ職員室に残っていた。

この先生は理科が得意で、大学では生物について学んでいたと話していたから、子供なりに、頭蓋骨を見てもらうには最適だと考えてもいた。

先生は、私が差し出した箱ごと頭蓋骨を受け取り、引っ繰り返したり、犬歯に触ったり、ひとしきり観察して、まず間違いなく犬の頭骨と下顎骨だと結論した。


犬の頭蓋骨は学校の理科室に飾られることになった。

私は発見者として友だちの尊敬を集めたけれど、自分のものに出来なかった悔しさも覚えていた。

そこで、3日ぐらいして、独りで再び川原に行ったのだった。

また犬の頭蓋骨が落ちていないかと期待したのだが、よし子ちゃんはついてきてくれなかった。犬の頭蓋骨が怖かったから、と言うのだった。そういえば彼女はあれに一度も触っていなかった。

私は独りで、骨を見つけた大きな石のところまで行ってみた。

石はまだあった。

しかし、上が黒っぽいタール状のもので汚れており、太ったハエが飛び交っていた。

近寄ると鼻が曲がりそうに臭く、激しい嫌悪感が湧いた。とてもではないが、触れない。

また新しく火を焚いた痕跡があり、犬の頭蓋骨を私たちが持ち去ったのちに、誰かがここを訪れたことは確実だった。

それは、犬の頭蓋骨の正当な持ち主だったかもしれない。

そう思うと、泥棒をしたやましさが胸の奥から急に噴き出してきた。

そこで私は、後ろを向いてその場を逃げ去ろうとしたのだが、振り向くと、こちらに向かって男の人が歩いてくるところだった。

ここまで、あと20メートルもない。中年の、大柄な男性で、汚れたTシャツにベージュの作業用ズボンを裾をまくりあげて履いている。

片手にバケツを提げていて、バケツの縁から鉈か何かの柄が飛び出していた。

「ここで何をしてる?」と男は私に訊ねた。

私は答えず、再び後ろを向いて、臭い石の横を通り過ぎ、走って土手を駆け上った。

男が追ってくるようすがなかったので、土手の上から見下ろすと、彼はゴム草履を履いた足で無造作に川に入り、バケツと、その中のものを浅瀬で洗い始めた。

……と、たちまち男の周囲の水に真っ赤な雲が生じた。

直感で、「血だ」と思い、私はその場で立ち竦んだ。

すると、視線を感じたのか、男がこちらを振り仰いで、手にしたものを高く掲げて見せた。

鉈だ。私の二の腕より長そうな刃が水に濡れて、ギラリと陽光を照り返した。

男は恐ろしい笑顔を私に向け、何か言いかけたが、私は悲鳴をあげて、今度こそ、振り向かずに一目散に走って逃げた。


その後、同級生の男の子たちが、町内の雑木林で怪しい人物が犬を解体している場面に遭遇し、大鉈で脅されるという事件が起きた。

犬の死骸を捌いていたのは、大柄な中年男性だったという。

少年らは無事で、警察官が現場を確かめに行ったときには、犬の死骸はすでに無く、怪しい男も消えていた。

あたりに残されていた血の量が少なかったことから、犬はどこか別の場所で殺されたのかもしれないということだ。

雑木林は、私が頭蓋骨を見つけた川原から近く、結びつけて考えないわけにはいかなかった。

たぶん先生も、私と同じように考えたのだろう。

いつのまにか、例の頭蓋骨は理科室から無くなっていた。先生に訊くと、大学のときの同級生にあげてしまったということだった。


雑木林でバラバラにされていた犬が、よし子ちゃんの知っている人の飼い犬かもしれないと聞いたのは、夏休みの直前のことだ。

「うちに入院していた女の人のうちの犬が、行方不明なんだって。入院中にいなくなったんだけど、旦那さんが内緒にしてたの。退院したから、奥さんにもわかったんだって」

「でも、赤ちゃんを産んだから、寂しくないね」

よし子ちゃんのうちに入院している患者さんはみんな、赤ちゃんを産む寸前か、産んだばかりの人だったので、私は犬がいなくなっても赤ちゃんがいるのだから……と、単純な頭で思ったのだ。

けれども、よし子ちゃんは首を横に振った。

「ちゃんと生まれなかったの。死産だって。お母さんも死にそうになったって。双子だったけど、二人とも駄目だったそうなの。おまけに犬までいなくなって、すごく弱ってる」

「かわいそうだね」

「うん。真っ青な顔で、昨日、来た。一緒に来た旦那さんも真っ青。二人とも幽霊みたいで少し怖かったけど、そんなこと言っちゃいけませんて、戸田さんに叱られたの」

戸田さんというのは、よし子ちゃんのうちのお手伝いさんで、50年輩の気さくでお喋りな女性だった。

よし子ちゃんの両親は2人とも医者で忙しく、いつも、医師や看護師、患者についての噂話の出どころはすべて戸田さんだった。

私が戸田さんに会ってその話を聞いてみたいと言うと、よし子ちゃんは「いいよ」と言った。


戸田さんは私とよし子ちゃんに冷えた麦茶とカステラを出してくれた。

双子を死産して犬も失くした患者さんについて聞かせてほしいと言うと、怒りもせず、むしろ話したくてうずうずしていたようすで、喋りはじめた。


「こないだ雑木林で犬が殺されてるのを見た子たちがいるんでしょう? あの犬が、そうなんじゃないかって、ご主人が言ってました」

件の飼い犬がいなくなったときと時期がぴったり合うのだと戸田さんは説明した。

「奥さんて人は、小柳ルミ子みたいな美人で、他所から来た人です。

ご主人の方は、昔からこの辺りの人ですよ。

ほら、よし子ちゃんたちの学校の隣の市立中学校、あるでしょう? あそこが出来たのが戦後2年ぐらいした頃で、ご主人、一期生だったって言っていらしたから。

すごく良い車に乗っていらっしゃるの。地主さんなのかしらね」


戦後から昭和の高度成長期にかけて、関越自動車道、国道39号、東武東上線などが出来るたびに、用途地域に土地を持っていた界隈の地主は金持ちになっていった。

戦後2年した頃に中学生というと、夫の方は、当時ですでに42歳以上ということになる。華やかな美貌の妻は、だいぶ年下だったのだろうか。

川原で遭遇した男も、40代ぐらいに見えた。風体からして、まさか電車で来たわけもないから、あれも地元住民に違いない。

あの犬の頭蓋骨はなんだったのだろう。

そして、川の水に溶けだした赤い鮮血は……。それから雑木林で男の子たちが見た風景は、いったいどういう意味を持っていたのだろう……。


小学校3年生の私は、この記憶をその後長い年月をかけて熟成させた。

男同士の嫉妬は怖いものだと聞く。

双子を死産した美貌の妻の夫は、やはり土地成金で、同級生に激しく嫉妬されたのだ。

そして呪いをかけられ、双子は死産、妻は病んでしまい、あれから何十年も経った今頃はもう彼の資産も何らかのトラブルによって失われてしまっている。

妻は自死して、彼は狂気の人となって、未だに苦しみつづけている。

そうした不幸は、すべて呪詛によって惹き起こされたのだ。

さらに、あの頭骨を貰った先生の同級生も祟りのとばっちりを受けて、突如、犬のように人を噛みはじめた。頭蓋骨を寺に預けて、お祓いをしてもらって、ようやく元通りになった。

――という筋書きを私は想い描くようになっていった次第だが、もちろん、これは事実でも現実でもない。

民俗学的な知識がブースターの役割を果たして生まれた、いい加減な想像である。


民俗学者・谷川健一は、著作『魔の系譜』の『犬神考』という章で、貧富の差に因る羨望や排除の意識や差別・被差別の問題と絡めて、犬神と蠱毒(呪詛)を考証している。

《差別する者と差別される者との間には、どんな恐怖が生まれるか。ということを「憑きものすじ」を通して考えてみたい。憑きものとは、犬や狐や蛇などの動物神が人に憑くことを言う。地方によっては、そうした動物神を代々伝えもつ家すじがある、と信じられている。そこで動物神を持つ家すじと、そうでない家すじとの間に恐怖が生まれる。この恐怖が現代でもどのように生きているか。》


そして問題の犬神はどうして誕生するのかというと、このようにする。

《生きた犬を土中に埋めて絶食させておき好物の餌物を鼻先におくと、犬の眼が吊り上がる。そこを見はからって首を切りおとし、箱におさめて祀ると、よく人に憑くようになる(略)その方法の残酷さと特異さは、黒魔術を駆使する呪術師のすがたを想定させずにはおかない。》


これは中国の蠱毒という呪詛法によく似ている。

中国の明代の書物『本草綱目』によると、虫や小動物などをひとつの容器に閉じ込めて共食いさせ、生き残った動物を殺して、干して焼いた灰を呪う相手に飲ませるのだそうだ。

中国には、犬ではなく、猫を用いる「猫鬼」という呪法もあった。蠱毒にはさまざまなバリエーションがあるようだ。


さて、犬神による呪いはどのようなものかというと――。

《昭和二十六年に島根県邑知郡のある町で一つの事件がもちあがった。安部某の小作人である三田某の子供が生まれて間もなく死んだことから、その死因は安部某の所持する犬神が子供を食い殺したのだという噂が立った。(略)》

――など、呪われた者の身辺に災いをもたらすということだ。


小松和彦の『呪いと日本人』には、こう書かれている。

《動物神は、祀り手の命令で活動するだけではなく、生霊と同様に、祀り手がある人物を憎んだり妬んだりしただけでも発動するという。》

それだけでなく、蓄財の邪法でもあり、祀り手を豊かにもするという。

犬神すじと言われる者は、結婚できなかったり差別されたりもしたが、同時に豊かな家柄の者である場合も多かったということになるだろうか。

豊かさへの嫉妬を差別することで清算する、ガス抜きシステムとしての憑き物すじ伝説。そんな捉え方も出来るかもしれない。


大人になった今にして思うと、昭和51年頃のあの懐かしい町も、人々の妬み嫉みにまみれていただろうことは想像に難くない。

清らかな小川を、稲穂の揺れる水田を、素朴な暮らしを潰して、大きな道路が鉄道が、駅が学校が、スーパーマーケットが――そういう便利で新しいものが続々と小さな町にやってきた、あの頃。

昭和40年以降の大規模土地開発で出来た「北坂戸団地」の子、つまりニューカマーだった私と親しくしてくれた土地に生え抜きの子は、産婦人科医院の子、よし子ちゃんただ一人だった。

面と向かって、「団地の子とは遊ぶなって言われているの」と級友から言われたこともある。

思えば、よし子ちゃんもやや孤立していた。

よし子ちゃんのうちは、他の家より飛びぬけてお金持ちで、生活スタイルが平均的ではなかった。

お手伝いの戸田さんは地元の人だったが、年端もいかない子供たちに黒い噂話をするときの喜々としたようすは、どうだろう。戸田さんと同じ年輩になってみれば、少々非常識だと感じるが、同時に、その気持ちも理解できるのだ。

よし子ちゃんが薬を泥棒していることを院長夫妻、つまりよし子ちゃんの両親に告げ口したのは戸田さんで、私もよし子ちゃんと白衣を着たよし子ちゃんのお母さんから一緒に叱られたのだった。

そのとき、そばに戸田さんも立っていたという気がする。そして、どういうわけか、叱られてしょげかえる私たちを眺めながら笑顔だったと思うのだ。

その笑顔が、川の浅瀬から土手の上の私を見上げた男の笑顔と重なる。

男の毛深い脛を濡らした赤い水と、鉈の輝き。白く乾いて軽い、犬の頭蓋骨。緑の藻の匂い――9歳の夏は、その美も禍々しさも、いつでも鮮やかに蘇る。


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