【真田丸】「関ヶ原のキーマン」小早川秀秋は肝疾患だった?新説に注目
戦国時代は、日本人にとって非常に重要な時代区分だ。現代の生活様式やアイデンティティーは戦国時代に形成された、と言っても過言ではない。
そんな戦国時代の終焉をもたらしたのは、関ヶ原の合戦である。この出来事については、もはや説明不要。関ヶ原で勝利を収めた徳川家康は、その後征夷大将軍になり江戸幕府を開いた。だがもしも家康が敗退していたら、そのような後日史もなかったのだ。
そして家康に勝利をもたらしたのは、小早川秀秋という武将。今日放送されるNHK大河ドラマ『真田丸』では、浅利陽介(28)が演じ、前回は豊臣家から小早川家に養子に出される場面が描かれた。
この人物が西軍から東軍に寝返ったことで、すべての運命が決した。ところが、秀秋は関ヶ原当日から疾患を抱えていたのではないかという新説が現れた。
■なかなか寝返らなかった理由
小早川秀秋は、西軍にいながら当初から徳川家康と通じていた武将である。だが合戦当日になると優柔不断な性格が災いし、家康に脅されるまで東軍に寝返る決断をしなかった……というのが定説である。
だが「すぐに東軍に寝返らなかった理由」について、どうやら秀秋の優柔不断ではないという説が登場した。兵庫県姫路市在住の医師が、このほど「肝性脳症説」を唱えた。
肝性脳症とは、肝臓疾患に伴う意識障害である。言動がおぼつかなくなる、一時的に思考ができなるなる等の症状があり、アルコール性疾患に併発しやすいという特徴もある。
平たく言えば、秀秋は酒の飲み過ぎで体調を崩していたというのだ。
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■珍しくない「酒による死」
秀秋は当時としても短命な人物だった。享年は数えで21歳、関ヶ原の2年後の死である。
死因について、かつては「石田三成と大谷吉継に呪い殺された」と言われていたが、現代の歴史学会ではアルコール性疾患説が最も有力である。秀秋が幼少の頃から酒を飲んでいたことは、史料にもある。
秀秋と同じような死を遂げた人物に、室町5代将軍足利義量がいる。彼は天然痘の発病歴があったが、それにもかかわらず大酒を飲み続けた。義量に酒を勧めないよう、家臣が起請文を書いたというエピソードは有名だ。
だが酒はやめられず、義量は数え19歳という若さでこの世を去った。ちなみに義量の後任は、万人恐怖の政治を行った「狂える将軍」足利義教である。
いずれにせよ、「酒で早死する武将」は決して珍しくはないのだ。
■歴史学の自由度
こうした「戦国武将に関する新説」は、最近頻繁に登場するようになった。
しかもそれは歴史学者ではなく、アマチュアの研究家が提唱する場合が多い。歴史学とは「解釈の学問」だから、様々な分野のプロフェッショナルが独自の視点で歴史の事象を研究している。
今回の「秀秋肝疾患説」も、医師でなければ立てられない仮説。このように、歴史学というのは非常に門戸の広い分野でもある。