川奈まり子の実話系怪談コラム 彼岸トンネル(前編)【第四十四夜】
廃トンネルに母娘の霊が…。川奈まり子の実話系怪談コラム 彼岸トンネル(前編)
19世紀に活躍した江戸の考証家、石塚豊芥子は晩年、文化文政期(1804~1829年)に世間を賑わした出来事を集めた『街談文々集要(がいだんぶんぶんしゅうよう)』という本を書いた。
同書は巷の話題の拾遺集であるから、奇譚・怪談も幾つも収録されている。その中でも珍奇な話に、『犬産人面狗』というものがある。
《文化7年6月8日、田所街紺屋の裏にて犬子を生り。二三疋の内ニ其面ざし人の顔に似たるよし大評判にて早速東領国へ見世物に出せし処、見物大群衆なり(略)
其顔の様子、眼より鼻筋の通りし処、人間の様に見へたり……》
つまり、人の顔をした子犬が生まれて見世物になり、大評判を取ったという話である。
文化7年には筆者の石塚豊芥子は数えで12歳だったそうだが、子ども時代の思い出を書き記したのだろうか。当時、この見世物のようすを描いた絵が残っており、そこに描かれた子供が豊芥子自身だという説がある。
その頃、江戸には梅毒患者が牝犬と交わると梅毒が治るという迷信があり、ひそかに獣姦を行う者があったといい、その結果、犬と人とが混血して、こういう犬が生まれたのだと、まことしやかに噂されたそうである。
そして、これこそが、後世の都市伝説「人面犬」の元だという説がある。
人面犬――人の顔をした犬。
はじめは小学生の間で広まったこの化け物の噂は、1989年から1990年にかけてマスメディアで取り上げられ、みるみる日本全国を席捲するブームとなった。
人面犬ブームについては、先述した江戸の奇譚が存在することのほかにも諸説ある。
怪奇漫画やSF映画に登場した人面の犬に由来するというもの、某大学もしくは某放送作家が「噂の伝播」について仕掛けた社会実験の結果とするもの、ある作家もしくはお笑い芸人の創作が元であるとするものなど色々あって、どれが原因かは不明である。
原因不明の都市伝説だが、とにかく流行った。人面犬の伝説が最も流行っていた頃、私はニューヨークに住んでいた。にもかかわらず、この噂を知っていたぐらいだ。
流行る理由は、わかる。
人面犬は、「ほっといてくれ」「勝手だろ」「なんだ、人間か」などと口をきき、ときには下品な言葉でカップルを揶揄した。
それだけならたいして害がないが、非常に足が速く、走る車を追い抜くことが出来て、追い抜かれた車は事故を起こした。
さらに人面犬は人を襲い、噛まれた人は人面犬になってしまった。
そんな化け物の「目撃例」が相次いだというのだから、流行らないわけがないではないか。
無論、そんなものが存在するわけがないと思うのが道理だ。しかし、いないと言い切るのも愚かしい。だったらいるのか。何しろ「目撃例」が、山のようにあるのだから。
恐ろしがりながら、しかし嘲笑含みで面白半分、人面犬探しに乗り出す若者があとを絶たなかったという。
最近、『ポケモンGO』が流行って、スマホ片手に街に繰り出し、ポケモン狩りに興じる人々が話題になっているが、モバイル以前の時代に都市伝説の化け物探しに夢中になった人々の心理もポケモンに熱中している現代の人々のそれと、似たようなものであるかもしれない。
人面犬が特に多く目撃された場所、それが埼玉県飯能市の畑トンネルだった。
畑トンネルは、別名を「畑(はた)のトンネル」ともいい、埼玉県道28号青梅飯能線の旧道に所在する。綽名は「化けトン」。
明治42年(1908)着工、明治44年(1910)完成というから、相当、古い。
埼玉県初の岩をくりぬいた煉瓦巻きの隧道で、飯能市を代表する近代化遺産として埼玉県立博物館に記録されている。
畑トンネルは、飯能から青梅方面に薪炭・石灰・糸繭などを運ぶための重要なルートに位置しており、第二次大戦前から定期運行のバスが通るなど、長年、大いに利用された。
しかし、昭和63年(1988)に新道が完成してからは、通過する車が減り、平成10年(1998)の台風の際、豪雨が原因で北側出口付近の土砂が崩落すると、車両通行止めになった。
現在は老朽化が進み、トンネル崩落の危険性があることから、旧道の両端が柵で封鎖され、廃トンネルになっている。
2016年7月下旬に私が訪れたとき、長さ78.3m、幅4.07mのこの廃墟は、夏草に埋もれていた。
旧道の北側の出入り口付近にはバリケード状の堅牢な柵が設けられているとの情報があり、南側から接近を試みたが、こちらにもトンネルの500mぐらい手前に柵があり、そこからは徒歩で接近を試みた。
苔むした道の傍に、朽ちた道路標識がいくつか残っていた。坂道を暫く行くと、樹木の間に洞穴のようなものが見えた。トンネルだ。
内部は暗く、北側の出口が眩しく光っている。
トンネル内部は湿り気がひどく、壁や地面がところどころ濡れていた。地下水が壁の隙間から漏れているようだ。赤煉瓦の壁面のはずだが、菌類が繁殖して黒や灰色の斑に覆われ、往年の面影はない。
油照りの午後早く、聞こえるものといえば蝉ばかりで、不気味といえば不気味だが、しかし、別に何か変わったこともなかった。
畑トンネルは自然に還りつつあり、山の景色に溶け込んでいた。
立ち入り禁止の場所に侵入している私は、山に取って異物であり、草木や虫たちの立場からしてみたら、こっちが急に現れた化け物みたいなものである。
誰かに見つからないうちに柵の外まで戻らねばならないと焦り、結局、3分程度、トンネルの入り口付近をウロウロしただけで、潜り抜けることもなく、早々に道を引き返した。
もしもトンネルを潜り抜けていたならば、北側の出入り口の付近にカーブミラーの残骸があったかもしれない。
かつて、畑トンネルが機能していた頃には、このカーブミラーに母子の霊が映ると言われていた。
畑トンネルに棲んでいるのは、人面犬だけではなかったのだ。
トンネルの中に、人の顔の形をした「笑う染み」があり、万が一、見てしまうと狂って死んでしまうとか。
四つん這いになり、猛スピードで追い掛けてくる老婆がいるとか。
母子の地縛霊がいるのだとか。
女性と幼児が手をつないで、うつむいて佇んでいるのだという。これが、車のバックミラーや道路脇のカーブミラーの中に姿を現すと言われていた。
トンネルのあたりで交通事故に遭って亡くなった母親と子供の霊だということだ。
これだけ多くの伝説が生まれたということは、私は何にも遭遇しなかったけれど、畑トンネルには特別な「何か」があるのだろうか。
私の知人で、フリーライターの高橋さんも、かつて畑トンネルで奇怪な経験をしたそうだ。
実は、今回、畑トンネルについて調べようと思ったきっかけは、彼女の――高橋さんは非常に美しい女性である――体験談を聞いたことに因る。
高橋さんとは、2ヶ月ほど前に知り合った。コラムを書くため彼女が私をインタビューしたのが縁で、そのとき、私が怪談を蒐集していると知り、暫くして体験談を話したいと申し出てくれたのだった。
渋谷のカフェでお話をうかがうことにした。7月上旬のその日、高橋さんは、小柄でスレンダーな体に最新流行のファッションを纏い、颯爽とカフェに現れた。
挨拶を交わし、お互い飲み物を注文し、軽く雑談してから、おもむろに「では……」と水を向けると、高橋さんは、静かに語り始めた。
「11年前に、前の職場で起きた出来事です」
思わず、目を瞬いて、高橋さんの顔を見つめてしまった。
私はずっと彼女のことを20代半ばぐらいだと思い込んでいたのだ。でも、11年前にすでに社会人だったということは……。
都内の某大学を卒業したと聞いているから、現在30歳を超えていることになる。
唖然としていると、彼女は澄ましてこう続けた。
「当時、私はアダルトビデオのメーカーの社員で、制作部に所属していました」
これにもビックリ。ご存知の方が多いと思うが、私は十数年前までAV女優だったのだ。
高橋さんも人が悪い。最初からそう言ってくれればいいものを……。
いやいや、進んで話すようなことでもないか。しかし驚いた。
ややあって、私は平常心を取り戻し、高橋さんに話の先を促した。
2005年4月25日のことだった。
その頃、高橋さんはAVメーカーの制作部のデスクとして、テレビのバラエティ番組を模した『ボッキンTV』というAVのシリーズを担当していた。
AVファンから企画のリクエストを募り、採用したアイデアを元に複数のコーナーを作品内に設け、それらにAVアイドルが身体を張って次々チャレンジするという内容で、キャッチフレーズは、「笑えてヌケる新感覚エロバラエティ」。
「しょうもない企画ばかりだった」と高橋さんは笑う。
この日も、高橋さんたちが畑トンネルに向かった理由は、あえて心霊スポットでAV女優と男優にカラミを演じさせるためだった。
撮影隊は、AV女優とAV男優、ビデオカメラマン、現スチ(現場でスチール写真を撮影するカメラマン)、AD、AV監督、制作デスクである高橋さん、それから霊媒師の計8名。
東京からハイエース2台を連ねて埼玉県飯能市に行き、途中で畑トンネルの近くの神社に立ち寄って、高橋さん含め全員でお祓いをしてもらった。
畑トンネルが有名な心霊スポットだということは高橋さんも知っていたが、本来、幽霊などはまったく信じないタイプ。
そのときのことを、彼女はブログに書いている。ご本人の許可を得たので、さっそく引用させてもらうこととする。
《空は雲一つなく、うぐいすも鳴いている。非常にのどかで、ピクニックでもしたい陽気だ。しかし、お祓いの直後、霊媒師さんは、「子供が2人……というメッセージが来たわ」と言う。特に気にせず神社を後にし、目的のトンネルに向かう。》
実にあっけらかんとしている。
ところが、ハイエースをパーキングに停めて、徒歩でトンネルに向かううちに、咳が出始め、次第にひどくなっていった。
咳が止まらない。気づけば、監督と霊媒師も同じように、しきりと咳をしている。
高橋さんも監督も、風邪気味だったわけではない。体調の急変に戸惑っていると、霊媒師が大真面目な顔をして、「咳やくしゃみは体に入った霊を出すしるし」と言った。
高橋さんは、真に受ける気にはなれなかった。
「霊媒師と言っても見た目は普通のおばさん風の人で、別に神秘的な感じもしませんでしたし……」
そう、この霊媒師は、高橋さんの母親と同世代か、もう少し上のような年輩の女性だった。服装は地味で、中肉中背で容貌にもこれといって大きな特徴もない。同級生の親にいそうな感じと言ったら、どんな女性か、想像がつくだろうか。
「咳は体に入った霊を出す」なんて、咳をする子供を気遣っての言いぐさのようでもある。
ちちんぷいぷい、痛いの飛んでいけ。母性とは、ときに女性に優しい嘘をつかせるものだ。これでは、霊媒師というより、お母さんではないか。
とはいえ、少し不気味に感じはじめた。なにしろ、風邪でもないのに、咳がおさまらないので。
予定通り、ビデオカメラマンが景色を撮り、次いで、トンネルの中にゾロゾロと皆で入った。
途端に、高橋さんは濡れタオルを頭から掛けられたように感じた。全身が異様な湿り気と冷気に包まれる。
たちまち鳥肌が立ち、小刻みに体が震えはじめた。それほど寒い。
4月下旬の真昼間で、ついさっきまで日向ではTシャツ1枚でも過ごしていたのだ。トンネルまでの道は上り坂で、歩くうちにうっすら汗ばんでいたというのに。
なのに、トンネルの中に足を踏み入れた途端……。まるで、冷たい水に全身をドップリと漬けられたような……。
寒いだけではない。湿気も、凄まじいのだ。水の粒が浮いて見えそうな気がするほど、空気が湿っている。そして、澱んでいる。
《寒いのは、日があたっていないせい。空気が溜まっているのも、換気が悪いから。そう自分に言い聞かせる。》
トンネルに入ったときのことを、ブログで高橋さんはこう綴っていた。
先ほども書いたが、高橋さんは、オカルト的なことはまるで信じないたちなのだ。
しかし、このときは、何か異常なことが起きていると感じてはいた。
合理的な原因を探しながら、咳や寒気と闘っていると、霊媒師が口を開いた。
「感じます。ここに、子供が2人いるわ」
子供が2人。神社でもそう言っていた。
高橋さんは信じなかった。神社で言われたときも、信じなかった。トンネルで、寒さと咳に苦しめられてはいたが、それだけでは信じられるようになるものではない。
霊が存在するなんて、バカバカしい。
「霊媒師さん、役者やのう、って思いました。いいタイミングで言うんですもん」
まさか、と軽く笑い飛ばしたいと思った。
しかし咳が止まらないのだ、どうしても。
咳が出て、息が苦しい。
息が……出来ない。苦しい……悲しい……寂しい……懐かしい。
「懐かしい?」
私はノートにペンを走らせていた手を止めて、高橋さんを見つめた。
「ええ。不思議ですよね」
「はい。咳が止まらなくて息が苦しいというのはわかるんですが、懐かしいというのは唐突すぎて、ちょっと理解に苦しみます」
高橋さんを取材させていただいた、渋谷のカフェである。畑トンネルから11年後の高橋さんは、端正な顔を辛そうに歪めていた。心の中で、当時の出来事を再体験しているのだろう。厭なことを思い出させて申し訳なく思った。
「すみません。どうかもう少し、わかるように説明してもらえませんか?」
「たしかに唐突ですよね……。でも、懐かしいとしか言いようがない気持ちが、急に胸に流れ込んできたんです。咳が出て息が苦しいとか、寒いとか、わけがわからなくて混乱してるのは表層の意識ですよね?」
「表層の意識……。表面的な気持ちとか、肌で感じているようなことという意味ですか」
「ええ。そういうものとはまったく別に、突然、哀れみに似た感情が湧いてきたんです。単に可哀想というのとも違う、切ないような、愛しいような、とても懐かしいような気持ちに急になって、気がついたら、泣き出していました」
「シクシクと?」
切ない郷愁で泣くなら当然そうだと思ったのだが。
高橋さんは頭を振った。
「いいえ。大声で泣き叫んでいました。涙を流しながら。胸が張り裂けそうに感じて、たまらくなって、地面に膝をついて泣き喚いたんです」
激しく慟哭する高橋さんの前に、霊媒師が立った。
手刀で空を切り、呪文を唱える。
「どんな呪文でしたか?」
「それが、よくわからないんです。私はお呪いや宗教的な儀式についてはまるで疎くて」
「手刀で空を切るというと、陰陽道かしら? 陰陽師?」
「安倍晴明の? 野村萬斎さんが演じられましたよね。でも、その霊媒師さん、言っちゃなんだけど、外見はふつうの地味なおばさんなんですよ?」
陰陽道の「破邪の法」で用いられるしぐさでは、手刀で空中に四縦五横の格子を描く。これは「九字を切る」といって日本独自のもので、同時に、九つの文字からなる呪文「九字真言」を唱えることとされている。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前」
霊媒師が唱える呪文が、トンネルの壁に反響した。凛とした声の響きに、一瞬、空気が凍ったかのような、さもなければ時間が止まったかのように高橋さんは感じた。
そして、呪文の残響が消えていくと同時に、胸を占めていた激しい感情が鎮まり、すみやかに心が凪いでいった。
霊媒師によると、畑トンネルには、母親と一緒に殺された2人の子供の霊が漂っていて、潜在意識の波長が合う人に死者の感情が流れ込んでくるのだという。
「祟りではありませんよ。大丈夫。これ以上、あなたに害が及ぶことはないでしょう」
霊媒師にそう言ってもらうと、高橋さんはすっかり落ち着き、気がつけば、いつのまにか咳も止んでいた。
撮影は続行された。その後、いよいよAV女優と男優のカラミを撮影することになり、霊媒師にはハイエースに戻って待機していてもらうことになった。
高橋さんも、いったんはADと一緒にハイエースに引き揚げたが、その後、撮影現場のセッティングを手伝うため、再びADとトンネルに向かった。
トンネルに行くと、この先の、もっと山の上の方でカラミを撮影することにしたと監督から説明があった。
移動が始まり、高橋さんも撮影隊について歩きだしたのだが。
「こんどは足が痛くなってきたんです。靴擦れかなと最初は思って、あまり気にしないようにしようとしたんですけど、だんだん、疼くように痛くなってきて、とうとう立ち止まってしまいました」
もう、みんなと同じペースでは歩けない。そう判断した高橋さんは、監督たちを呼びとめて謝り、その場で待たせてもらうことにした。
「ADさんが、ハイエースの鍵を持ってました。ADさんだけ、5分か10分ぐらいしたら撮影現場から私のところまで戻ってきて、ハイエースに送ってくれることになりました」
高橋さんは、道の端に適当な場所を見つけて、腰を下ろした。坂道を、みんなが遠ざかっていく。日が陰ってきたと思い、腕時計で時刻を確かめると、午後5時ちょうどになったところだった。
樹木に囲まれた坂道の途中で、そこからはトンネルは見えなかった。
山の中に独りぼっちで、置き去りにされた。状況的にはそういうことになると思い、不安を感じないわけにはいかなかった。
よく考えてみたら、ハイエースには霊媒師が乗っている。独りで行って、車の中からロックを解除してもらえばいいのだが、ADにはここで待っていると言ってしまった。
携帯で説明して、ハイエースに戻ることも出来る。
でも、ほんの5分か、長くても10分程度、待てばいいのだ。こんなに足が痛くては、肩を貸してもらうか背負ってもらわなければ、ハイエースまで辿りつけそうもないし、独りで痛む足を引きずって歩くことを考えたら、ここで待っている方がマシだ。
そう自分に言い聞かせて、痛む足をさすっていたのだけれど。
「そこから意識が飛んで、気づいたら、また、絶叫していたんです。今度の気持ちは、さっき泣き叫んだときとは違って、もっと……なんと言うのか、イヤッ!と激しく拒絶するような……受け容れがたいことが起きて、こんなのイヤだと叫ぶような、そして、凄く悲しい気持ちがして……」
高橋さんの絶叫が山に木霊した。
(つづく)
(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部)