千代の富士のライバルは悪童?角界から抹消された横綱・北尾
千代の富士は偉大な横綱だった。大記録はもとより、「力士の体型」すら変革してしまったのだから。
だが太陽が影を生み出すように、千代の富士は後発の横綱を目立たなくしてしまった。ウルフ時代の横綱は、千代の富士ひとりだけではない。「おしん横綱」と呼ばれた隆の里、現八角理事長の北勝海、超アンコ型の甘党力士大乃国、芸達者で知られた旭富士。
そしてじつは、千代の富士以上の体格と素質を持っていた横綱も存在した。
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■2mの巨人横綱
北尾光司は、199cm150kg超という日本人離れした肉体の持ち主だった。
誰しもが認めるフィジカルエリートは、長い腕を活かした突っ張りから自分の相撲を組み立てる。ほぼ2mの体格に真正面から打ち勝てる力士は、まったく存在しなかった。千代の富士ですら、北尾を苦手としたほど。
だが、北尾は横綱昇進前から「稽古嫌い」で知られていた。彼は立浪部屋所属の力士だったが、当時の立浪親方(元関脇・安念山)に少しでも厳しくされると「なら実家に帰らせてもらう」と言ってワガママを通したそう。
また、北尾は幕内優勝を1度も経験していない。にもかかわらず、横綱に昇進して「双羽黒」という四股名をもらったのだ。これは増えすぎた大関とひとりしかいない横綱のアンバランスの解消という説がある。
これに対し、三木内閣で法務大臣を務めた政治家の稲葉修は、横綱審議委員の立場から「昇進反対」を唱えた。だが結局は多数決で判断、北尾は以後「双羽黒」として綱を締めることに。
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■謎の失踪事件
ところが、北尾の土俵人生は突如として失われてしまう。
それが1987年末に発生した「北尾失踪事件」。北尾は立浪部屋の女将を殴り、「二度と戻らない」と言い放ち部屋を飛び出してしまったのだ。
これに対しマスコミは「前代未聞の乱行」と報道。なぜ暴行に至ったのかに関して「ちゃんこが口に合わなかった」「弟弟子をいじめていた」「ファミコンのセーブデータを誰かが消した」などが取り沙汰された。
だが、これらは北尾と対立していた立浪親方の「一方的見解」と判明している。じつは立浪親方は北尾の稼ぎ分を着服、そこから金銭問題が発生した説が有力に。その上、実際には女将を殴っていないとも言われている。
もちろんこれも「ひとつの仮説」だが、立浪親方はその人生の中で2度も部屋継承騒動を起こしているのは事実。この人物は金銭面でも、決して潔白ではない。それは立浪部屋を巡る元小結・旭豊との泥沼裁判でも明らかになっている。
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■千代の富士を凌駕した可能性
ともかく、北尾は肉体的なピークを迎える前に土俵を離れる運命をたどった。
その後、スポーツ冒険家を経てプロレスに転向。新日本プロレス、SWS、UWFインターナショナルと渡り歩いた北尾だったが、彼のプロレスラーとしての評価は決して高くない。
人気外国人レスラーを模倣しすぎたスタイル、ショーであるはずのプロレスで真剣勝負を仕掛けた挙句、その時の対戦相手を「八百長野郎!」と罵倒してしまう行動。千代の富士が最も恐れた力士は、残念ながらプロレスラーには向いていなかった。
だが、北尾が「横綱双羽黒」として現役を続けていたら、千代の富士を大いに苦しめる「悪役」として存在感を発揮していたかもしれない。「if」の話になってしまうが、横綱昇進後に大化けする可能性も充分にあった。
そうしたドラマのある大相撲は、やはり奥が深い。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)