【レスリング】吉田沙保里は女子格闘技に「市民権」を与えた

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※画像はgorin.jpのスクリーンショット

吉田沙保里の登場を待ち望んでいる人は、非常に多いだろう。

吉田に先立ち、伊調馨がすでに五輪4連覇を果たし、「次は吉田だ!」という声が、各方面から相次いでいる。現時点でも日本は「レスリング王国」と表現していいほどの実績を挙げているが、やはり吉田の活躍を観なければレスリングを観たことにはならない。

「女子レスリング」と「吉田沙保里」は、もはや同義語になりつつある。この選手はそれほどの人物なのだ。


 

■レスリングの近代史

レスリング自体の歴史を非常に古く、古代ギリシャにまで遡ることができる。

近代オリンピック競技としてのレスリングは、1896年のアテネ五輪から実施。だがこの大会では、男子グレコローマンのみの開催であった。当時、「レスリング」とは下半身への攻撃が禁止されたグレコローマンだけを指し、フリースタイルはアイルランドの肉体労働者の間で細々と行われていたに過ぎない。

その労働者たちが出稼ぎに行った先で、またはサーカス団にカーニバルレスラーとして入った者が「下半身攻撃のあるレスリング」を広めた。近代オリンピックでフリースタイルレスリングが最初に開催されたのは1904年のセントルイス五輪からだが、当時のセントルイスはアイルランド系や東欧系のプアホワイトが多かった。こうした土地柄と競技種目の選定は、決して無関係ではなかっただろう。

だがいずれにせよ、ここまでの流れは男子だけに関連するもの。女子選手がレスリングをすることには、常に危険論からの反対意見があった。


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■マット界の「男女平等」

「男性と女性の身体構造は違う。女子レスリングは危険だ」


そうした声が、かつては盛んにあった。日本では割と早くから女子の国内大会が整備されていたとはいえ、女子レスリングがオリンピックの正式種目になったのは2004年のアテネ大会から。

だが、吉田沙保里にとっては運が良かったのかもしれない。当時の吉田は21歳。これから伸び盛りの年齢で、初めてのオリンピックに臨むことができた。

強烈なタックルを武器にする天才を、他の誰も止めることができない。吉田が金メダルを獲得した過去3大会の決勝を振り返っても、まったく危なげのない勝利を掴み取っている。とくにアテネ五輪は、まるでレスリングの教則DVDのような一方的展開だった。

タックルに入った際の「引き」が強く、それを軸に素早く相手の後ろに回る。字面にすれば単純だが、実行するとなると極めて難しい。

同時に、「女子はレスリングに向いていない」という一部からの声を吉田は叩き潰してしまった


■レジェンドたちが確立した「市民権」

レスリングで物を言うのは、腕力よりも柔軟性だ。

とくに下半身の柔らかさは、レスラーの誰しもが求める要素。だから男子よりも柔軟性に優れる女子のほうが、むしろレスリングに向いているとも言える。

アマチュア相撲でも、男子より女子のほうがよりレスリングチックな展開になることが多い。女子選手たちは相手を土俵から押し出すよりも、柔らかい四肢を活かして投げをかけようとするからだ。

そうしたことを実証し、女子格闘技に市民権を与えたのが吉田沙保里や伊調馨といったレジェンドたちである。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一


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