織田信長はやっぱり最強?「勝てる自信がある」と答えた人は
織田信長は日本史上最強の人物である。
彼は天下平定に至る明確なビジョンを持っていた。 そして寺社勢力に独占されていたあらゆる利権を解放し、それを各地方の隅々に行き渡らせたのだ。関所廃止や楽市楽座などの経済政策は、信長支配下の諸国に莫大な富をもたらし、文化発展を促す結果につながった。
一方で、信長には敵が多い。のちに天下を制した豊臣秀吉には従ったにもかかわらず、信長時代は一貫して「アンチ織田」を通した人物も。
それほど、「信長が強かった」のだ。
■やっぱり「打倒信長」は難しい!
ではここで、現このような質問をしてみよう。「あなたなら織田信長に勝つ自信があるか?」という内容だ。
「はい」と答えた人は、わずかに7.5%。さすがに信長を負かすのは至難の業だと、判断しているようだ。
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■合戦では弱かった?
ところが信長は、ところどころで敵対する諸大名に敗北している。
浅井長政、武田信玄、上杉謙信、毛利輝元。これらの大名に、信長は合戦で負けた経験がある。正確に言えば、武田信玄に対してはまともな戦闘を仕掛けることすらできなかった。勝ち目がなかったからだ。
だが同時に、信長は諸大名の弱点を知っていた。たとえば武田軍の場合は、精強ではあるが兵士はみんな農民。だから農閑期にしか活動できない。すなわち信玄の上洛は、信長がクレバーな遅滞防御策に出ていれば阻止できたのだ。
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■逆転の才能
信長という男は、「強い敵とは戦わない」姿勢を一貫させたからこそ強かったとも言える。
信玄死後に行われた武田攻めにしても、山岳戦に強い木曽義昌を味方に取り込んでから実行。それをきっかけに武田家中で離反が相次ぎ、最終的に武田勝頼は孤立してしまった。これは「合戦による勝利」ではなく「謀略による勝利」である。
「強い敵とは戦わない」を発展させると、「敵を弱くしてから戦う」発想になる。
当時の人々から見ても、織田軍の兵は弱かったらしい。「尾張兵5人は甲州兵1人と同等」とまで言われていたほど。だが、結果として尾張兵は甲州兵を駆逐した。信長は、戦闘力の低さをカバーしてあり余る「逆転の才能」を持っていたのだ。
こうして見ると、やはり信長は「魔王」と呼ぶにふさわしい妖怪である。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
【調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo」
調査期間:2016年8月26日~2016年8月29日
対象:全国20代~60代の男女1,368名(有効回答数)