「鍋島資料」が流出の危機に!ツタヤ図書館問題を考察
佐賀県武雄市のいわゆる「ツタヤ図書館」が、今も全国的な議論を煽っている。
図書館の業務を民間委託することにより、大幅な増収を目指すこの試み。館内に喫茶チェーン店やソフトレンタル店が入るなど、ある種の「近代化」を図書館にもたらした。だが、問題も多数噴出している。
その最大のものは、「鍋島資料問題」だ。
■目的に邁進する鍋島家の「家風」
現代の佐賀県にあたる地域は、かつて鍋島家が統治。
佐賀鍋島藩の藩祖である鍋島直茂は、戦国期に力を失った龍造寺家に代わり領国の頂点に立った。この鍋島家は、目的のためならいかなる手段を行使しても必ずやり遂げる性格。家の発展のために主君格龍造寺家を放伐し、また関ヶ原の合戦においても巧みな二枚舌を使って戦後の領国安堵にこぎつける。
19世紀、徳川幕藩体制においてもその性格は変わらなかった。
1808年、長崎の出島でオランダ船に偽装したイギリス船が領海侵犯を行う事件が発生した。しかもこの時、オランダ商会員がそのイギリス船に拉致されたのだ。これが「フェートン号事件」である。
出島警備を担当していた鍋島藩はその責任を問われ、家老数人が切腹に追い込まれる。また、当時の藩主である鍋島斉直も閉門を命じられた。
だがこの時の屈辱が、鍋島藩に明確な目的をもたらす。それは、一刻も早く軍装備を近代化し、ヨーロッパ諸国に対抗できるようになることだ。
その先鞭をつけたのが、佐賀藩内の自治領武雄の領主鍋島茂義だった。
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■明治維新は武雄から
茂義がまず行ったのは、銃と大砲の近代化だ。
当時、銃と言えば未だに戦国期由来の火縄銃。茂義はオランダを通じ、武雄領内の鉄砲隊の装備をゲベール銃にした。またオランダ人顧問を招聘、当時最新の軍制を導入している。
その上、茂義自身も砲術家の高島秋帆に弟子入りし、本格的に高島砲術を学んだ。だがいかに銃や大砲が高性能でも、弾薬がなければただの筒。そこで茂義は、領内に理化学研究施設まで建設した。火薬の開発生産のためだ。
その取り組みは、佐賀の鍋島本家からも大いに注目された。茂義と同時期の鍋島藩主である鍋島直正は、武雄領をモデルに佐賀藩の軍事改革を実行。それが鉄を溶解する反射炉の建設、西洋式大砲の国産へとつながるのだ。
戊辰戦争で上野の彰義隊を壊滅させたアームストロング砲は、佐賀藩のもの。鍋島茂義の取り組みは、明治維新で見事に花開いたのだ。
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■鍋島資料の価値
幕末の鍋島家の歴史をざっと解説したが、じつはこれらに関する資料が流出の危機に瀕している。
武雄市図書館には、2012年10月まで『蘭学館』があった。名前の通り、武雄領の近代化に絡む蘭学関連資料を収蔵していたのだが、ツタヤ図書館成立と同時にソフトレンタル店に改装された。
一連の流れについて、作家の竹本健治氏がこのようなツイートを発信。
武雄市は図書館運営のツタヤ委託の際、貴重な蔵書を大量処分したが、その流れで鍋島家から寄贈された膨大な蘭学資料もオークションに出されそうになったので、慌てて国が「武雄鍋島家洋学関係資料」として一挙に2224点を重要文化財指定した。 pic.twitter.com/RyA0Dh8m5Y
— 竹本健治 (@takemootoo) September 8, 2016
日本の近代化は、肥前すなわち佐賀鍋島領内から始まっている。明治新政府もそれを理解していた。だから「薩長土肥」という言葉があるのだ。
だが、肥前領内で製造された大砲は戦時中の金属供出で多数が失われている。となると、文献資料が今後の歴史研究の鍵。また、佐賀の工業史はそのままヨーロッパの工業史の謎を解き明かすヒントとしても用いることができる。
たとえば静岡県伊豆の国市にある韮山反射炉は鍋島藩の協力を得て建てられたものだが、ここは世界でただひとつ現存している大砲鋳造反射炉。だからこそ世界遺産に認定されたのだ。
ツタヤ図書館問題は、こうした歴史的背景を踏まえて議論する必要がある。
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