「所謂」を「ショイ」と読む若者の「いわゆる」音読離れに驚愕
先日、話をまとめるまえに必ず「ショイ!」という若者と出会い、「元気だな」と思っていたところ、数日後「所謂(いわゆる)」のタイミングで使っていたことに気づき、驚愕した俳優/ハイパーメディアフリーターの黒田勇樹です。
インターネットの普及により、音よりも先に字と意味に触れることが多くなった影響でしょうか?
「読み書きができない」時代から「音読ができない」時代に変わっていく足音を、聞いたような気がしました。
このコラムは、子供の頃から芸能の世界で台本や台詞に触れ続け、今なお脚本家やライターとして「言葉」と向かい合っている筆者の視点から、様々な「言葉の成り立ち」について好き勝手に調べる「妄想的」な語源しらべぇです。
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■「生物」なんと読みますか?
「セイブツ」、もしくは「ナマモノ」「イキモノ」あたりでしょうか? 日本で広く使われている漢字は、アルファベットなどの、音だけを表す表音文字とは違い、意味も同時に表す表意文字。
「生」の字だけをとっても「セイ」「ナマ」「キ」「ショウ」、「生きる」と送り仮名をつければ「イ」と、様々な音で発音することができます。
さらに日本語には平仮名、カタカナが存在し、同じ「ナマ」と発音して「生」を意味する場合でも、「生」と書くか「ナマ」と書くかで大きく受け取る意味が変わってきます。
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■「生」「なま」「ナマ」が好き
ことばは市民権を得てこそ意味をなすものなので、通常「生が好き」なら「ビールの話かな?」と思う人が大多数でしょうが「ナマが好き」と書いてしまうと、一気に「ゴム着けて!」と、ピンクな妄想が広がります。
音、意味、表記、ネットの普及により急速に増加していく無数の組み合わせを使いこなしてこそ「現代日本語マスター」なのかもしれません。
ちなみに、「マナ」は「愛菜」だと芦田愛菜、「マナ」だとマナカナのマナ、「まな」だと紗倉まながもっとも一般的であると筆者は思っています。
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(文/ハイパーメディアフリーター・黒田 勇樹)