タイソン・ゲイ選手の娘が射殺されるも「銃規制」は進まず…
アメリカの短距離走選手団のリーダーとして、その名を世界に轟かせていたタイソン・ゲイ選手。ジャマイカのウサイン・ボルト選手の好敵手でもあった。
そのタイソン選手の娘、トリニティさんが銃で撃たれて命を落とした。15歳という若さだ。
トリニティさんは、ケンタッキー州レキシントンのレストランの駐車場で事件に巻き込まれた。もちろん彼女はこの事件に関与していない。たまたまそこに居合わせたところへ流れ弾が当たってしまったのだ。
あまりにも理不尽すぎる。
■銃は必需品
トリニティさんは、父と同じく短距離走の選手として地元高校ではスターだった。
もし何事もなく2020年を迎えていれば、彼女は19歳。東京五輪に出場していてもおかしくない。アメリカは、素晴らしいアスリートを失ってしまったのだ。
こうしたことが頻発しているにもかかわらず、なぜアメリカでは銃規制が進まないのか?
それをひとことで言うなら、「銃は必需品」という考えが完全に根付いているからだ。
「家の中に刃物がない」家庭は、日本でもほとんどないだろう。アメリカの場合は地域差もあるが、南部や西部では「生活をするのに銃は絶対不可欠」なのだ。
その考えの根源は、19世紀までさかのぼることができる。
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■襲撃から身を守るため
第16代アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーンは、1860年に初めて大統領選挙に当選した。
当時、カリフォルニア州やオレゴン州などの東海岸地域は合衆国に組み込まれていたが、それより内陸の西部はまだ未編入。このあたりはネイティブアメリカンがまだ支配していた。
だからニューヨークの実業家が商用でサンフランシスコに行くとしたら、船旅になる。当時はパナマ運河は存在しないから、南米のマゼラン海峡を経由する長大な旅だ。
ところが、「大統領選挙に誰が当選した」かを一刻も早く伝えなければならない。だから電信網の敷かれた範囲まで一報を送り、そこから先は早馬を使う。
1860年の大統領選挙の結果は、そのようにしてサンフランシスコに伝えられた。このやり方でも1週間費やしたのだ。
では、早馬の騎手にとって「仕事のための必需品」は何か?
銃である。それも小型で連発できるものだ。
西部のネイティブアメリカンから見れば、東海岸のアメリカ人は「侵略者」。19世紀当時、白人とネイティブアメリカンとの紛争は激化の一途をたどっていた。早馬は常に襲撃の危険と隣り合わせ。
インターネットが確立した今も、南部や西部の住民には「銃がないと殺される」意識がある。だからこそ、「銃規制はいらない」世論が形成されやすいのだ。
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■古びた価値観
そして、そのような意識を持っている人々にとっては「トリニティさんが銃を持っていれば、このようなことにはならなかった」という結論になる。
要はリンカーン当選の際の早馬と、現代の女子高生を同列視しているのだ。これは「自宅から一歩外へ出れば、そこは危険に満ちている」発想でもある。
早馬の騎手に「銃を持つな」と命令するのは、彼を殺すも同然の行いだ。だが、それは現代に当てはめられるものではない。都市部に氾濫しすぎた銃は、今も悲惨な事件を起こし続けている。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)