【真田丸】真田の強さを支えたもの、それは「ソバ」
真田家は、はっきり言えば「零細の地方領主」である。
確かに、戦争には強かった。幸隆、昌幸、幸村と3代に渡って戦国有数の指揮官を排出した功績は誰にも否定できない。だが結局、大大名にはなれなかった。
なぜか? ひとことで言えば「資源がなかったから」だ。
■真田と毛利の違い
領土内に資源があるかないか、またはそれを獲得できたか否かはその後の大名の運命を大きく変える。
毛利元就という大名の名を知らない日本人はいないだろう。
毛利家は戦国を生き延びた。関ヶ原のあとにだいぶ減封されたとはいえ、一時は日本一の大大名になることができた。だが、よく考えればこれは不思議な現象。なぜなら毛利家が中国地方の覇者として君臨したのは16世紀中頃からであり、それ以前は真田昌幸のような地方領主に過ぎなかったからだ。
元就は当初、中国地方の東半分を征していた尼子氏に従属していた。それがのちに西半分の覇者だった大内氏に寝返り、最終的には謀反で殺された大内義隆の「仇討ち」という名目で敵対勢力を制圧。
その後、かつての主人格だった尼子氏を討ち滅ぼすのだが、その過程で毛利は石見銀山を手にした。要は銀山の産出する経済力により大きくなったのだ。
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■米が取れない地域の苦悩
ところが、真田にはそれがない。もちろん近隣の鉱山を手中に収めようという野望はあったはずだが、最終的には関ヶ原で東軍に味方した信之が「信州の一地方大名」になる程度だった。
そもそも、真田がいた地域は平野面積が極端に少ない上、気候も寒冷。稲作には極めて不利。米による国力の増強が不可能で、そのため人口も増やしづらい。動員できる兵力も限られる。
現在の長野県に該当する山岳地域では、ソバを生産していた。ソバは寒冷な気候でも栽培できる。現地の人々にとっては非常にありがたいB級穀物だったのだ。
「真田とソバ」については、大河ドラマ『真田丸』にもすでに登場している。九度山に幽閉された幸村に、信之が支援物資としてソバを送るというシーンだ。
そしてこの「B級穀物」の存在が、真田の兵と領民を強くした。
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■ロースコアでの強さ
A級穀物の代用品、すなわち過酷な環境でも生産できる非常用食料があることは、「飢饉に強い」のである。
確かに、周辺地帯が豊作の中で自分だけがロースコアのままの場合もある。だが全体状況そのものがロースコアになった場合、極めて強い力を発揮することができるのだ。
「飢えは人を強くする」とは、そういう意味で事実である。もし真田領が下手に恵まれた土地だったら、あそこまで粘り強い活躍はできなかったと断言してもいいだろう。
真田の人々を支えたのは、ソバだったのだ。
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