【真田丸】徳川家康「大坂城ピンポイント砲撃」の裏側とは

2016/11/27 10:00

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(画像はNHK公式サイトのスクリーンショット)

徳川家康は、大坂城を陥落させるために大砲を活用した。

大河ドラマ『真田丸』では、片桐且元から淀殿の居場所を聞いた家康が、そこへイギリス製のカルバリン砲を撃ち込む場面がある。砲弾は天守閣に当たり、瓦礫の崩落で淀殿の侍女が数名圧死。

よく考えてみれば、これは恐ろしいことだ。カルバリン砲の威力が恐ろしいのではない。「大坂城のここに大砲を撃て」という家康の命令に、見事応じた砲兵の能力だ。



 

■「徳川の砲兵」は超優秀!

「撃った砲弾はどこに落ちるのか?」

大砲が登場して以来、世界の軍人はそのことを常に考えてきた。

昔の大砲は、目標に対しての直接照準ができなかった。撃ったら大砲自体が激しく後退するからだ。だからあらかじめ角度と火薬の量を設定し、地形を鑑みながら発射するしかない。

これには緻密な計算が必要だ。現代の砲兵は「ミル」という単位を使うが、これは円周を6400等分したもの。だが徳川の時代の日本には、そのような単位はまだ影も形もない。

にもかかわらず、大坂城への遠距離砲撃が可能だったこと自体が驚愕すべき事実である。


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■大砲の効果

徳川家康は大砲を「製造する集団」のほかにも、それを「運用する集団」まで抱えていたのだ。

もちろん、優秀な砲兵を味方につけるには莫大な資金が必要だったはず。豊臣を滅亡に追いやるためには、金に糸目をつけない。それが家康の恐ろしい点である。

「家康がどのように大砲を運用したか」は、あまり考察が進められていないようにも感じる。だがこの点を掘り下げれば、家康が関ヶ原の戦いから大阪冬の陣までの14年間でどのような準備を重ねてきたのか、そのあたりが見出だせるはずだ。

そしてこれを付け足しておく必要があるが、家康はカルバリン砲で大坂城を完全破壊しようという意図はなかった。

そもそも、カルバリン砲は決して大きくはない火器。それだけで巨大建造物を粉々にできるとは、家康も考えなかっただろう。だが大砲というものは、敵に心理的プレッシャーを与えるという面でも非常に有効だ。

こうした大砲の運用は、大阪冬の陣から23年後の島原の乱でも採用されている。


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■豊臣方の「内輪揉め」

さて、徳川方の砲撃に動揺した豊臣方は、一気に和睦へと舵を切る。

籠城戦とは、何も兵士だけが城に籠っているわけではない。武器を持たない役回りの者もいるし、女衆もそこに住んでいる。それらの人々が平等に発言力を持っていたとしたら、一体何が起こるのか。

大坂の陣当時の豊臣方の弱点は、やはりこの部分だろう。つまりまったく意見の異なる女衆と牢人衆との橋渡しをする者が、ひとりもいなかったのだ。そこに徳川方がつけ込み、大坂城の防御能力を大きく削り落としてしまった。

この戦いの結果を決めたのは、カルバリン砲ではなく「考え方の温度差」だったのだ。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一

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