インドネシアで外国人観光客が自転車泥棒!その時、村長は…
窃盗はどこの国でも犯罪行為だ。最も原始的な行いでもあるが、窃盗犯はやはり社会的制裁を受けるべきである。
だが中には、窃盗癖が身についてしまう者も。そうした人間は、たとえ刑務所に入れても出所後に同じ罪を犯してしまう。「どうせ簡単に見つかりはしない」という気持ちが、いつの間にか心に刻まれていくらしい。
いずれにせよ、人の物を盗むことを何よりの恥である。
■「私は泥棒です」
インドネシア・ロンボク島。この島は西に隣接するバリ島と同じように、世界中から観光客を集めている場所だ。
そのロンボク島と同じ州行政区域のギリ・トラワンガンという小島がある。そこを訪れていたふたりのオーストラリア人観光客が、自転車盗難の容疑で逮捕された。監視カメラの映像が証拠になったという。
この愚かな行為に、地元集落のムハマド・タウフィック村長が激怒。犯人には社会的制裁を受けさせなければならない。そこでムハマド村長が提案したのは、犯人を笑い者として大衆に晒すというものだ。
犯人の首には、「私は泥棒です。絶対に私のようになってはいけません」と英語で書かれたプラカード。その姿で島内1周という、あまりにも恥ずかしすぎる罰を与えたのだ。
自転車泥棒は警官に囲まれながら、後悔の念を顔ににじませつつ行進。その後、ふたりは退去処分となった。
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■村によっては「非情な判決」も…
ムハマド村長は、この罰を「村の決まり」とコメント。
インドネシアでは、各集落の首長にかなり大きな権限を持たせている。そう書くとやや語弊があるかもしれないが、「村独自で犯罪者を裁く」ことは決して珍しくはない。
たとえば、どこかの村で殺人事件が発生。その犯人が村人の手によって捕まったら、警察に引き渡さず村人みんなで犯人をリンチにかけて殺す…ということも少なからずある。
もちろんこれは、近代司法制度の在り方に真っ向から反する行為。民主主義国家において「市民裁判」があってはならない。だからといって、現地の警察はそれを止められないのだ。下手をすれば、村人の怒りが警察署に向く。
それに比べれば、ギリ・トラワンガンの「市中引き回し」はまだ平和的と表現できるかもしれない。
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■どこにでもある監視カメラ
また、この事件によって明らかになったのは「どこにでも監視カメラがある」という点。
インドネシアでも今や近代化の波が訪れ、たとえ小さな島でも外国人が利用するような施設には必ず監視カメラが設置されている。今年1月にジャカルタで発生した連続テロ事件以降、インドネシア当局も治安対策に重きを置くようになった。
もちろんそれは、我が国日本にも当てはまることだ。ネガティブな表現を敢えて使うならば、現代はまさに「監視社会」。かつては発覚の可能性が極めて低かった自転車盗難も、監視カメラの普及によりすぐさま犯人が割り出せるようになったのだ。
やはり「人の物を盗む」という行為は恥を上塗りするだけで、何の収穫ももたらさない。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)