「AKBカフェっ娘」が日本一のバーテンダーになった日

元SDN48の記者・大木が、さまざまな「セカンドキャリア」に挑むアイドルや女優にインタビュー。

2017/06/26 07:00


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かつて、「小栗あずき」という名のアイドルがいた。

彼女はグラビアを主戦場としながら、パチスロ番組やバラエティに多数出演。

2010年に放送されたテレビ東京系人気バラエティ『ゴットタン』では、“気が弱すぎるアイドル”として登場。

バカリズムから「正しいブチギレ方法」を伝授されるなど、生き残りをかけグラドル業界で活動していた。

しかし、そんな彼女が今いるのはバーである。

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東京・赤坂見附駅から徒歩3分ほどの「アルジャーノン シンフォニア」。平日19時頃、店内は既に満員の人気ぶりだ。

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店内は静かな客もいれば会話を楽しみたい客もいるが、それぞれにとって心地良いスタンスで会話のトーンを変え、手際よくシェイカーを振る彼女は、誰がみても熟練バーテンダーの姿だ。

なぜ、彼女はバーの世界に足を踏み入れたのだろうか? 


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■AKBカフェで経験した挫折

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――バーテンダーになる前は、どのような生活を?

小栗さん:地元の北海道で14歳の頃スカウトされて、地元のCMに出演したりしていました。


少しずつ小さな仕事を積み重ねながら、地元にある音楽系の短期大学に進みバンド活動をしていて。


18歳のとき演奏中の姿を見た芸能事務所から声をかけてもらって、20歳で思い切って上京、本格的に芸能の仕事をするため準備を整えました。


――その後は、どのような生活を?

小栗さん:都内で一人暮らしをはじめたものの、アルバイトで生計を立てていました。


ある日、バイト先に来店したAKB48の運営スタッフさんから「1期生メンバーのオーディションがあるから、受けたらどう?」と誘ってもらって。


当時、AKBは発足したばかりのプロジェクトで情報も少なくて…。受けるかどうか悩む間に、結局1期生オーディションは終わってしまったんです。


あぁ。やっぱり受ければ良かった…! そういう悔しい気持ちがあって、新たなチャンスが来るまでAKB劇場に併設している「48’s Cafe」でカフェっ娘として働きました。


そこのカフェで働いていれば正規メンバーになれるチャンスもあるので、その夢を目標に働いていたんです。


でも、その後、全力をかけて臨んだオーディションに落ちてしまって…。


――篠田麻里子や大堀恵など、『AKB48になる』という夢を叶える同期の従業員もいる中、夢を失った小栗さんはカフェを去る。

だが、「もう一度だけ、ひとりで頑張ろう…」そう思い一念発起し芸能界へ。

本名の「小栗絵里加」ではなく「小栗あずき」という名義でグラビアを中心に活動する一方、生活のためバーテンダーとしてもアルバイトを継続。

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(本人からの提供)

小栗さん:グラビア以外にもヘタクソなりに歌に挑戦したり、舞台に立ったり、バラエティ番組の隅っこのほうでひな壇に座ったり。


日中は芸能の仕事が急に入ることもあったので、昼間にバイトすることが難しくて。


夜に撮影が入ることはほとんどなかったので、バーテンダーの仕事は、ありがたかったです。


オーディション、舞台稽古、撮影、バイト…とにかく寝る時間を削ればなんでも出来ると思って、体力の限界ギリギリのところで生活していました。


そんな中、とうとう過労で倒れてしまう。


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■ 泣きながらバー修行

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ドクターストップがかかり舞台降板せざるを得ない体調になる一方、上京後はじめて「今後の人生を考えるきっかけ」になったという。

地元の北海道へ帰る決断したのは、26歳のとき。

小栗さん:芸能の仕事も続けたがったけれど、自分の中で限界も感じていて。ズルズルと続けたくないし1度リセットしようと。


芸能界もバーテンダーもやめて、北海道に帰ろうと思ったんです。


でも、引退するタイミングで働いていたバーの店長が「そのまま、正社員になれば?」と声をかけてくれて。


それがきっかけで「じゃあ、バーテンダーは、もう1回がんばってみようかな…」と。


 そこから芸能界は完全に引退し、男性スタッフにまざりカウンターに立つ日々が始まる。

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小栗さん:バーテンダーという職業は、「男女」で扱いが異なるものではないので、男性同様、厳しく育てていただきました。


当然、少しでもミスをしてしまうとみっちり怒られ、泣くのを我慢する生活で。


それでも、引退直後からバーテンダーに本格的に転身した27〜28歳の頃は、閉店後、毎日こっそり泣いてましたね。


夕方から仕込みで入って、夜までみっちりカウンターで接客を学び、朝は帰宅したら、そのまま酒の種類を覚えるため専門書を何時間も読み込んで。


先輩バーテンダーに営業中に色々と質問するわけにはいかないので、必死で目で見て技術を盗みました。


そうした生活を続け、複数の店舗で研鑽を積んだ後、メインバーテンダー兼マネージャーというかたちで現在の店舗に着任する。


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■そして、10年目の勝負

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(本人からの提供)

バーテンダーとして、勤続10年目の今年。

小栗さんは、5月13日〜14日に開催されたバー業界最大級サミット「東京 インターナショナル バーショー +ウイスキー エキスポ ジャパン 2017 」内で行なわれた「なでしこカップ」に出場。

女性バーテンダー日本一を決める大会で、見事1位に輝いた彼女の栄光は多くのマスコミで報道された。

コンテストでは、シェイキングなどの技術を披露するだけでなく、カクテルに込められた思いを英語でスピーチする場面も。

この日、発表したオリジナルカクテルは、母の日をイメージした「マザーズブロッサム」。

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(本人からの提供)

どんな時も心配しながら見守ってくれた小栗さん自身の母親に対しても「長生きして欲しい」というストーリーを込めた。

アンチエイジングに効果が期待できるという、地元・北海道産ハスカップのシロップを使うなど、飲んで欲しい相手をイメージしたカクテルを作り上げたという。

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(本人からの提供)

アイドル時代のファンやバーの常連の姿が、客席に応援に駆けつけてくれた姿をみて「なんとしても優勝したい」という気持ちが湧き出たという。

小栗さん:芸能界にいた頃、お芝居もやって、グラビアもやって、アイドルDVDも出して…。本当になんでも挑戦しました。


お給料も少なかったので厳しい生活が続いたし、急なオーディションが入って、アルバイト先にも迷惑をかけてしまうことも数知れず…。


それでも、あの経験がひとつも無駄ではなかったんだと実感しました。すべてが生かされていると実感しながら、パフォーマンスすることができたんです。


大変なことは本当に多かったけれど、人生で一番、報われた瞬間でした。


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(本人からの提供)

――芸能界を経てバーテンダーとなり、今後の目標は?

小栗さん:静かに飲みたい人もいれば、おしゃべりを楽しみたいお客様もいます。


私は、あくまで『お店のバランス』が大事だと思うので、すべてのお客様が帰る頃には『明日もがんばろう』という気持ちになっていてほしい。


人間だから疲れていたり、気持ちが盛り上がらない時も、あると思うんです。


そんな時でも、ここに来れば前向きな気持ちになれる…そんなお店にしたいです。


いつか、故郷である北海道にもお店を出したいですね。


ときに迷いながらも、逆境にめげず栄光を勝ち取った小栗さん。そのまなざしは、「第2の人生」の希望に満ち溢れていた。

【アルジャーノン  シンフォニア】
住所:東京都港区赤坂3-10-6 雪華堂ビル 3F

営業時間:【月~木・土】 17:30~24:00 【金】17:30~翌2:00
定休日:日曜・祝日

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(取材・文/しらべぇ編集部・大木亜希子

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