隠しカメラで歌舞伎町に潜入 丸山ゴンザレスがジャーナリストを名乗るまで
丸山ゴンザレス氏がジャーナリストに至る道。歌舞伎町での試行錯誤も…
出版社に入るまで、私の文章キャリアというのは、プロ作家のような存在とは一線を画していた。端的に言えば特別な文章の才能なんてもっていなかった。
まあ、このあたりはジャーナリスト志望の人でも同じことを考えているかもしれない。それに、もし文章の才能があったら悩むことなく、とっくに自分の道を進んでいることだろうから。
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■自分の土台となる力を醸成
私の場合、少しだけアドバンテージがあるとしたら、大学院で考古学の論文は書くから執筆経験がまったくないというわけではなかった程度だろう。
ただし書くには書いていたが、わかりやすくとか、エンタテイメント性があるとか、読者を意識するとかいったプロ作家ならば当たり前のこともできていなかったし、そのスキルはもちろん考えもしなかった。
そんな私がいったいどのようにしてジャーナリストというよりも編集者としてのベースを少しずつ作り始めていったのか。それは、少々イレギュラーなところがあるので、説明を必要とするかもしれない。
とくに普通じゃないかもしれない道筋だったからこそ、それが結果としてジャーナリストとしての土台であり、力になっていったように思う。では、いったいどんなことをしたのか、ここから始めてみたいと思う。
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■仮免編集者時代に受けた薫陶にイライラ(笑)
編集者として働いていた当時、勤務していた出版社で別の班の副編集長に言われたのが、 「転職している時点で、新卒で本作っている奴には負けてるんだから、普通の努力で数年のキャリアの差は埋まらないよ」 という、胸に刺さる言葉だった。
さすがキャリアのある人は違いますね~などと、感動したり、感銘をうけたかって? まさか!? むしろ、逆。正直、イラっとした。 まあ、若かったんだろうなと今では思う。
とはいえ、副編集長の言うことももっともな側面はある。編集という仕事は経験がものをいうのは事実だからだ。そんな当たり前のことに突っかかるあたり、今から当時の自分を振り返ると、何も知らなかったと思うからだ。