隠しカメラで歌舞伎町に潜入 丸山ゴンザレスがジャーナリストを名乗るまで
丸山ゴンザレス氏がジャーナリストに至る道。歌舞伎町での試行錯誤も…
■逆境を逆手にとる
それに、もし自分に甘い私でも、編集者仮免中みたいな状態の新入社員に及第点はなかなか与えられないのはもっともな話だと思う。 だが、当時の私は、そんな状況を逆手にとってみようとも思っていた。
毎月の企画会議で提出するのは、編集力の基本ともいうべき日本語企画。なにせ、こっちは先輩社員から出遅れの素人扱い。どんな企画を出そうとも、笑われる心配はない。もし、企画が通ったら仕事をしながら正しい文章を覚えていこうと考えたのだ。
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■最もクレイジーな取材仲間S君と歌舞伎町潜入
ただし、こんな真面目な編集者としての時間は、夕方までの話だ。 就業時間が終わると、他社の編集者や雑誌記者たちと歌舞伎町に繰り出していた。 何をしていたかというと、その当時を思い出してもらえればすぐにわかる。
といっても、ご存じない人もいるだろうから、簡単に言うと、まだ歌舞伎町はちょっと緩くて、辻々に地回りのヤクザなどがいて、プッシャー(ドラッグの売人)にも簡単にアクセスできるとかいった話がそのへんに転がっているような時代だった。
おかげで、ネタに事欠くことはなく楽しく取材をしていた。 なかでも一番仲良く取材をしていたのが、いわゆる裏モノ系月刊誌の編集でS君という人だ。私と同い年ぐらいなのだが、ちょっと頭のおかしな男だった。
今は中国人観光客の方が多いのであまりうるさく言われることはないが、当時歌舞伎町の中でカメラを出すと、ヤクザとかキャッチの人とかが来て「お前、何やってんだ!」って怒られたものだ(こちらが隠し撮りしようとしていたのがバレバレだったということもあるのだが)。
でも、記事としてはどうしても歌舞伎町のシーンが欲しいという時がある。そんな時は仕方がないので怒られるのを承知で隠し撮りをする。できるだけバレないようにするためにあれこれ工夫を凝らす必要があった。