丸山ゴンザレスが「九州裏社会」取材で学んだ人脈の重要性と活かし方
ジャーナリスト・丸山ゴンザレスが九州の裏社会を取材したときに学んだ「人脈」の真実。
出版社に勤務して、アフターファイブには取材を重ねる。副業であるはずのフリーライター業の方が軌道に乗ってくると、本業であった出版社の仕事にひと区切りつけたいと思うようになっていった。
■人脈の使い方と協力者のケア
副業と本業で人脈もできあがっていて、「これなら俺一人でもなんとかやっていけるんじゃないかな?」と、会社を辞める方向に考えが向いていった。
そして、副業が本業を圧迫したタイミングで、いよいよ退職願を出す決意を固めた。 じつはその頃、いくつか魅力的な取材ネタが集まりだしていたのだ。そのこともあって、会社を辞めることに躊躇はなかった。
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■九州裏社会取材への道
どんな取材をしようとしていたのかといえば、九州のヤクザだった。 この取材は、期待感が大きかった分、かなりの困難が伴った。取材しようと思った時、これまで歌舞伎町で「俺、ヤクザに人脈がある」と嘯(うそぶ)いていた人に、「お願いします!」と頼んでみた。
なにせ、いつも「俺はさ~」と言って、私よりも高い位置から話していたのだから、悪意なく頼ろうと思った。ところが、いざ本当に取材しに行くと相談したとたんに「いや、もう昔の話だから……」などと言いよどんで、あからさまに退いていった。
(どうしよう……) 途方にくれた時、九州に住んでいる友達のことを思い出した。実際に連絡を入れたら、「任せて!」とふたつ返事で引き受けてくれたうえに、本当にどんどん現地の方と繋げていってくれた。
彼らが無理をきいてくれたのは、どんな理由があったのか。別に特別なことをしていた記憶はない。むしろ、非常に基本的なことを重ねていただけだと思う。
以前に九州に行った時に知り合って、その後、彼らが東京に来た際に一緒に飲み、その後も連絡はきちんと返すといった基本的な交流は続けていた。それが功を奏したのだと思う。