発酵の町で個性ある手造りの吟醸酒を 「酒に心あり」 越の華酒造の挑戦
先代社長は樺太で抑留され、北海道から酒蔵再建のため新潟へ。
■目指すは究極の吟醸酒
様々な添加物で量を増やした、いわゆる「三増酒(三倍増醸清酒)」が大手を振るっていた時代、小野寺社長が師と仰ぐ田中哲郎氏は、その逆を説いた。
関東甲信越国税局鑑定官から生涯を酒の指導にかけた田中氏が、昭和28(1953)年に立ち上げた研醸会。
厳しい指導で現在に至る新潟酒の基礎を築いた氏と、そこに集った錚々たる、そして、次々と個性を伸ばし、名を挙げていった酒蔵の顔ぶれで知られる存在だ。
その会の事務局を務め、会合や勉強会の場を提供していたのが、越の華酒造だった。杜氏たちには技術向上に、蔵元にはこれからの新潟県産酒と経営者としての情報交換の場だったという。
新潟の蔵元の「常にオープンな関係性」は、この時から始まっていたのだ。 師の教えは、究極の吟醸酒を求めて、一つの酒を突き詰め、同時に、常に新しい酒を探求する同社のラインナップによく表れている。
関連記事:博多華丸、品川庄司が原因で「一度だけ芸人引退を考えた」過去明かす
■馥郁たるほのかな香りと柔らかく切れの良い酒を
同社のある沼垂(ぬったり)にはかつて58社もの発酵食品の会社があり、現在でも15社を数え、「沼垂醸す地区」とも呼ばれる。そこで切磋託した中で、常に念頭にあるのは、気軽に飲める、飲み飽きしない酒。
加えて、様々な食事のシーンに合わせた個性ある吟醸酒を楽しんでもらいたいと、兵庫県産山田錦、新潟県産五百万石、山形県産亀の尾、青森県産華吹雪、といった個性的で高品質な酒米を使用し、米の特徴を活かすことに腐心する。
その一つが、原料米を40%までしか磨かないこと。加えて、最も影響が大きいと言われる酵母に、自家培養の酵母を使うことで独自の味を生み出す。ほのかな香り、米の旨味が生きた味、キレのよいふくらみのある酒になる。