雪深い栃尾の風土が育てた『越の鶴』 長岡藩の兵糧所だった歴史をもつ蔵元に聞く

上杉謙信が初陣を飾った栃尾で、将軍吉宗の時代から醸し続ける伝統の蔵。

2018/02/02 22:00

越の鶴

越後の名峰・守門岳(すもんだけ)は、素盞鳴尊にまつわる伝説を秘めた神の山として中越地方の人々に親しまれている。なだらかなスカイラインを描き、壮大な山容を見せる山肌には、樹齢300年を超えるブナの原生林が広がる。 


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■徳川8代将軍吉宗の時代から酒造り

越の鶴

 この山を源とする刈谷田川の上流、四方を山に囲まれた小さな盆地に位置する栃尾は、長岡市でもとりわけ雪深い里。

日本名水百選の泉が湧き出し、冬はすっぽり雪に覆われる自然環境は、酒造りにこの上ない好条件となっている。 越銘醸はこの栃尾で、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の時代から酒造りをしてきた。

「享保年間(1716~1736年)に創業の山家屋(やまがや)と、弘化2年(1845年)創業の山城屋が合併して、1934年にできたのが越銘醸です。旧栃尾で第1号の株式会社なんですよ」と解説するのは、6代目当主の小林幸久社長。

栃尾の歴史に精通し、この土地への並々ならぬ愛着が、言葉の端々にのぞく。


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■戊辰戦争では蔵が長岡藩の兵糧所に

越の鶴

栃尾人の誇りは、ここが名将上杉謙信の勉学を修めた地であること。幼少期を栃尾で過ごした長尾景虎は、栃尾から初陣の旗を上げて越後を平定し、上越の春日山城に移っていった。

小林社長はこれに続く栃尾のストーリーを物語る。

「ここは江戸時代、長岡藩栃尾組の代官町でした。1868年の戊辰戦争のとき、長岡藩は栃尾に退くことになり、当社は藩の兵糧所として使われたのです。蒸米用の大きな和釜を使って兵士ヘの炊き出しが行われました。


このとき指揮をとったのは、米沢藩上杉家からの応援隊を率いる青年武将・八木朋直でした。後に第四国立銀行の頭取になり、資金を提供して新潟の初代「萬代橋」建造に一役買うなど、新潟市民の生活向上に貢献。


新潟市長や県議も勤めた人物ですが、若き日、兵糧所を引き上げて米沢へ帰る際には、和歌を一首短冊に記して当社に残していきました」


今も蔵には戊辰戦争に関わった栃尾の歴史の一端が残されている。

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■なめらかで丸みのある柔らかな酒が伝統の味
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