男装アイドルから実力派作家へ 元風男塾・原田まりるの波乱万丈な人生

アイドル活動を経て、作家の道へ転身した女性がいることをご存知ですか?

2018/03/04 08:30


 

■会社員として働く日々

だが、嘆いていても始まらないと自分を奮い立たせ、一般企業で働くことに。

「体調は安定せず、絶望的な気持ちを引きずっていたので芸能活動に復帰できるようなモチベーションは無かったので、ゲーム会社に勤めることにしました。


仕事が見つかって、その時は嬉しかったです。でも、以前の病院で処方されていた薬は神経に強く作用する薬だったようで、頭がぼーっとしたり、突然吐いてしまうこともありました。


そんな辛い状況のなかでも、哲学書には救われましたね。


もともと10代の頃から哲学書を読み漁り、尾崎豊の大ファンでもあったので、私も尾崎のように『生きるって何だ!』とか、『自由って何だ!』と考えてばかりいました(笑)。


また、哲学書を読むきっかけとなった哲学者の中島義道先生の『不幸論』という本の中には、『人が生きていることは、それ自体がしんどいことで、非力である』といった内容が書かれています。


『生きることの苦悩』について、尾崎の歌詞とも通ずるところがある気がして胸にささりました」


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■風男塾に加入したきっかけ

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(株式会社ケイダッシュステージから提供)

運動量を増やすなど体質改善を進めていき、少しずつではあるが体調は快復していったという。

1年ほど経過した頃、知人から「芸能事務所のオーディションがあるみたいだけど受けてみたら?」と誘われたそうだ。

「その事務所のオーディションを受けたところ合格して、まもなくアイドルグループの加入も決まり、勤めていた会社を辞めました。


結成当初は女性ユニットだったのですが、当時はアイドル戦国時代でしたから、男装して新しい可能性を探っていこうということで出来たのが『風男塾』です。


小学生の頃から執筆関係の仕事につきたくて、レースクイーンをしていたのも特殊な経歴があれば作品に活かせるかもという思惑もあったので、『事務所に入れば文化人や作家としてなにか活かせるかも』という期待がありましたが、最初に決まった仕事はアイドル業だったということです。


でも、逆に面白いと思いました。自分の予想しなかった流れに乗ることで、得るものがあるのではないかと思って。


楽しいこともありそうでしたし、 その前に一度病気で潰れてしまったので今度こそ前向きに頑張ろう、と」


流原 蓮次(るはら れんじ)という男性の名前で活動をすることになった原田。

同グループは「アイドルの聖地」と呼ばれる中野サンプラザでワンマンライブを行ない2,000人以上のファンを動員するなど、順調に活動を重ねた。

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■男性として生きることで起こった身体の変化
アイドル風男塾男装小説家アイドルのセカンドキャリア原田まりる
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