元アイドリング・伊藤祐奈が「アイドルをプロデュースする側」に回った理由

元アイドリング!!! 伊藤祐奈が「現役アイドル」から「アイドルをサポートする側」に回った経緯とは?

2018/04/01 16:00

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青年起業家・伊藤祐奈。現役大学生ながら、昨年、株式会社TKMKを設立し、マーケティングやイベント事業を取り扱う会社の代表として、社長業に邁進中。

自社発の企画として、7人組ユニット『TOY SMILEY』(トイスマイリー)をCDデビューさせるなどプロデュース業も展開しており、事業内容は多岐に渡る。


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■元アイドル経営者

伊藤は起業家になる以前、フジテレビ発のグループ『アイドリング!!!』のメンバーとして活動していた元アイドルである。

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(画像は本人からの提供)

だが、2015年に芸能活動を引退し、そこからたった1年半で、かつてアイドルだった女性たちのセカンドキャリアをサポートする「裏方」として華麗なる転職を遂げた。

なぜ、彼女は起業家の世界に足を踏み入れたのだろうか? 彼女が14歳で芸能界に足を踏み入れた頃から遡り、話を聞いた。


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■アイドル活動を始めた経緯

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(写真は本人からの提供)

「アイドリング!!! って、1期生から3期生までは事務所に入っている子しかオーディションを受けられないグループだったんです。それが、私が加入した4期生の応募時から一般応募もできるようになりました。


当時の私は中学2年生で、雑誌でオーディションの告知を見つけて。私のような一般の女の子も受けられるところに惹かれて応募してみたんです。


ただ、香川県で生まれて東京で育ち、それまで『めちゃくちゃ普通の生活』をしていたので、書類審査を通過してオーディションに行く時はかなり緊張しました。


二次面接の時だったと思うのですが、候補者が何人かに絞られて、一斉にカメラテストがあったんです。


一緒に試験を受ける子たちと控室で一緒になったら、『こんなにかわいい子が世の中にはいるのか…』と思うほど、みんな物凄くかわいくてポージングも上手で。


ショックが大きすぎて、オーディションの帰り道はひとり号泣しました(笑)『あぁ。こんなとこでは絶対に生きていけないし。レベルが違いすぎる』って。


私だけカメラもまともに見られず、オーディション担当のスタッフさんが心配するくらいだったので、途中からは『確実に落ちる』と思って受けました」


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■アイドリング23号が出来るまで

ところが、応募総数5,000人のうち合格者5名に見事選ばれ、正式加入が決定。「アイドリング23号」としてポジションが与えられ、芸能活動がスタートする。

「アイドリング!!! は、女の子たちが現在進行系でアイドルとして成長する女の子たち『Idol+ing』という意味合いで名付けられたユニットです。メンバーの人数は、多いときで25人くらいでした。


うちのグループは、バラエティに強いというイメージを世間の方に持っていただけるくらい、体を張っていたグループだったと思います(笑)


フジテレビのチャンネルでも冠番組を持たせてもらって、司会のバカリズムさんと一緒に色々な経験をさせてもらいました。


私自身の印象的な思い出でいえば、初めて撮影に参加した時に、背中に『生きたうなぎ』を入れられたことでしょうか…。


ちょっとトラウマになって、その後の数年間はうなぎが食べれなかった、なんてことがありましたね(笑)」


メンバー達は果敢に『パイ投げ』や『ストッキングかぶり』に挑戦し、従来のアイドル像を覆す体当たり芸で視聴者を魅了した。

一方で同グループは、AKB48ともコラボレーションも行い『AKBアイドリング!!!』としてもシングルを発売。解散する2015年までにグループ全体で24枚以上のシングルを発売し、本格的に知名度を広げていった。


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■学校はほとんど行かず

その後も通信制の高校に進学した伊藤は、芸能活動を優先した生活を送っていたという。

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「演技レッスンは受けたことがないんですけれど、ありがたいことに15、6歳の頃に主演で演技のお仕事をさせていただくことになりました。


『シークレットガールズ』という作品で、女の子向け漫画誌『ちゃお』(小学館)の付録DVDや動画配信サイトで発表された作品です。


それまで男性ファンのほうが多かったのですが、この作品がきっかけで小さな女の子たちも親子でイベントに来てくれたりして、それはすごく嬉しかったですね。


学生生活を謳歌したい気持ちはありましたが、それを上回るくらい楽しい経験が沢山できました」


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■18歳、派生ユニットのリーダーを任されることに

伊藤は、その後、大役を任せられることになる。『アイドリング!!!』から派生した新ユニット『アイドリングNEO』のリーダー的存在を担うことになるのだ。

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(画像は本人からの提供)

「新人メンバー5名ともう一人のメンバーと私を合わせた計7名『アイドリングNEO』というグループで活動を行うことになりました。


本家から派生したユニットではありますが、両グループで同日にシングル発売をして売上を競う時もありました。売上が負けたほうが罰ゲームを受けるという企画で…。


運営サイドは『アイドリングNEO』を作ることで『新世代感を持ったアイドルを育成したい』という思いがあったそうです。


その時の私は、すでにアイドル活動を数年間経験していましたから、最初は戸惑いました。なんで私はアイドリング!!! のセンターを狙っていくことができないんだって。


でも、後輩アイドルたちに色々と伝えていく中で次第に仲も深まり、やり甲斐を感じるようになりました。


後輩には厳しく指導するというよりは、少し長く活動している身として、私の背中から何か吸収してもらえるように考えて行動していましたね。


いま考えれば、その時から『アイドルをプロデュースする側にも回ってみたい』という気持ちが芽生えていたのかもしれません」


■普通の少女から「プロのアイドル」へ

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デビュー当時はカメラを向けられても喋ることができず、隠れたり逃げてしまうような性格だったというが、多くのライブや番組出演がきっかけで変化が訪れたという。

「活動終盤は、自分から『グループのセンターをとりにいくぞ!』と思えるほど前向きな性格に変わっていきました。今でも、あの時の経験があったからこそ人として成長できたな…と感謝しています。


あと、ファンの人がついてきてくれたのはすごく大きかったですね。私は1人じゃないんだって、凄く思えましたから。


アイドルという仕事は、頑張ったぶん必ずファンの人が見てくれているし、ファンの方が答えてくれる職業だと思います。


握手会に1人のファンの人が何回も来てくれたら、そこで『その人の人生の物語』が聞けて、それがすごく楽しくて。


高校生だったファンの子が大学を卒業して就職することになったり、駅員になりたい夢があったファンの人が本当に駅員さんになったり…。


『ファン同士で結婚した』とか、『子供が生まれた』とか、そういうことって普通に生きていたら経験できないことじゃないですか。


私は、根本的に『人』が好きなので、さまざまな人の人生に少しだけ入り込ませてもらえる感覚が体験できたことは魅力的だったし、アイドルだからこそ体験できることだったと思います」


■20歳で引退を決意

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(画像は本人からの提供)

「2015年の8月の誕生日を機に20歳を迎えるので、そこでアイドルを卒業して引退したいという話をスタッフさんにはしていたんですけれど。


同時期、急遽グループ全体の解散が10月に決定したこともあり、8月に私の卒業公演を開催することが難しい状況になりまして。


そこで少し前倒しして、2015年4月に行われた『アイドリング!!! FES 2015』というライブを最後に卒表することになりました。


私自身『アイドリング!!! として活動して、アイドリング!!! として活動が終われば幸せ』と思っていたので、未練はありませんでした。



アイドルという職業に誇りを持っていたし、辛くて辞めたいと本気で思ったことはなく、とて楽しかったのです。


でも20歳の区切りでキッパリ辞めるという選択肢を選んだのは、一般常識がないまま、ここまで来てしまったので、そういうことも吸収してから、きちんとした大人になりたいと思う気持ちが強かったからでした。


■卒業後、2日後にはバイトの面接へ

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(画像は本人からの提供)

「卒業の少し前から、アルバイトを募集している店舗をネットで探して、卒業公演の1週間前にはバイトの面接日を決めていました。


初めて履歴書を書きましたが、出身校は書けても、自分が今までやってきたことは『アイドル活動』しかないし、それは書けない…。


そのとき『自分って、なんてちっぽけなんだろう』って感じました。改めてスタートラインに立ったんだ。ここから作り上げていくしかないんだ…と思いました。


 アルバイトの採用面接も、凄く緊張しました。なにを聞かれるかわからないじゃないですか。普通オーディションだったら『こんな演技してください』とか要求されることは分かるんですけれど…。


どんなことを聞かれるのかなって思ったら『どこから来たの?』とか『どれくらい働けるの?』とかそういう感じでしたね」


 ―履歴書には、どのようなことを書いた?

「志望動機をみっちり書きました。普通、アルバイトではそこまでびっちり書かなくても問題ないようですが、私は細かい字で長文で(笑)


最初は飲食店の面接だったのですが、『このお店のご飯が好きだから』とか『人と関わる仕事を絶対したいから』と書いて。


そこから約1年半、最多で3つのバイトを同時進行しました。歯科医院の受付や飲食店でのホールとか。『働いた分だけお金に変わる』っていうのがすごく新鮮で、楽しくて、もう働きまくりましたよ。


時給1,000円のところから自分で時給を上げていって、300円アップしたり…。お寿司屋さんでバイトした時には1,300円からスタートして、最終的に1,800円まで上がりました」


■大卒の初任給レベルまで稼ぐ

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「かなり働いて、すぐに大卒の初任給の額くらいは稼ぐことができました。


12歳の頃からお年玉や芸能のお給料を貯金していたのでお金に困っていたわけではなかったのですが、アルバイトをして自分が頑張ったお金で『今後のためになる行動をしたい』と思っていたので。


貯金があるからと安心するのではなく、働き続けたのは、やっぱり働くのが好きだからかもしれません。そうして働きながら、今だからこそやりたいことをバーッと紙に書きだしてみたりもしました。


『アイドルイベントをしたい』とか『アイドルグループを作りたい』とか『ティーンマーケティングに関わってみたい』とか、色々なことが思い浮かんできましたね。


バイトで貯めた100万円を、そういった目標のためにどうやって使うか考え、起業か留学のどちらかをしたいと思って、まず数ヶ月間、カナダに語学留学に行くことに決めました。


留学中は自分のお金で行っているから、ダラダラできなかったですね、本当に。1日も学校を休みたくないし、なにか吸収して帰りたいし、自分のお金を使っているから」


■14歳ですでにかなりの貯金

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「そもそも私の家庭は、昔から『欲しいものは自分で買いなさい』という教育を受けていました。誕生日プレゼントとか、あまり買ってもらった記憶がないんですよ。お小遣い制でもなくて。


自分で『マッサージ店』を真似事で部屋の中に作り、父親相手に『何分で何円コースです』って、家族に向けてビジネスをやるような小学生時代でした。


そこで、お金の大切さを自然に覚えることができたと思います」


教育に力を入れた家庭で育った?

「はい。宿題をやってなかったら締め出されましたし、毎朝、登校時間より2時間以上は早く起きて、数学の問題を解いたりしていました。


中学生の頃は『12歳で100万円ためました! 本当のお金持ちになった女の子のお話』(インフォバーン社)という本を、毎日、父の指令で音読させられて(笑)


これは韓国の女の子が12歳で100万円をためるまでの実話が描かれているんですけれど、小さな女の子がアルバイトできないのにどうやって貯めたのか、そのあたりについて詳しく書かれているんです。


その子は、途中でお金を取られちゃったり、いろんなハプニングに見舞われるんですけど、最終的にちゃんと貯めるんですよね。その本に衝撃を受けて、私自身も14~15歳の頃には、貯金することに成功してました。


『すべてのこと対して自己責任』っていうのが我が家のルールで、だからこそアイドル卒業後も自分でルールを作って生きてこられたのかも知れません」


■元アイドル、法務局に行く

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「カナダの語学留学から帰ってきてから、もう一度、本格的に留学に行くか起業するか2択で悩み、起業する道を選びました。


『自分で休む日を決めたい』という欲求や『自分がやりたいこと』を考えた時、普通に会社員として就職したら難しいことに気がついたんです。


自分がやりたいことを受け入れてくれる会社も無さそうだし、それなら自分で作ろうかなと…。単純に起業してみたい! という思いがあったのではなく、辿り着いた答えの先に『企業の道』があったんです」


■会社設立の手続きは全部自分で

会社の資本金も、自分の貯金で賄ったという伊藤。「自分自身で何かやりたい! と思ったときにお金がないのが昔から嫌いんなんです」と言って笑う。

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「会社設立の手続きは、全部自分でやりました。最初はなにも分からないから『株式会社 作り方』とかネットで検索して…。


次に法務局に行って、なんとか『株式会社TKMK』という会社を立ち上げました。社名は私が生きていく上で大切にしている『トキメキ』という言葉の頭文字からとって名付けました。


定款(ていかん)っていって、『この会社はこういうことやっていきます』という事業内容を記載する書類が必要なのですが、それも自分で作って公証役場に持っていきました。


いろんな行政機関で『こんな若い人が何をするの?』という顔で見られて、正直めっちゃなめられて。小馬鹿にした対応を受けたことは印象的ですね。これって、本当によくないなって思います。


『安全な道を行ってほしい…』という大人の気持ちは理解できますが、若い人の起業をサポートしてくれる機関がもっとあればいいのにって、すごく思いました。


とはいえ、私自身に関して言えば、人生の重要な局面で誰かに頼ることなく自分自身で実行することができたのは、両親の教育のおかげです」


■企業とアイドルの架け橋に

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(画像は株式会社「TKMK」がプロデュースするアイドルユニット『TOY SMILEY』)

――『株式会社TKMK』は、具体的にどんな業務内容を?

「今は、アイドルのプロデュース業務が主軸にあります。7人組のアイドルユニットをCDデビューさせて、衣装や楽曲制作、ライブ活動に関しても全て携わってます。


アイドル達が出演する舞台もプロデュースすることもあります。 劇場を借りてキャスティングに関わったり、コンサルティングの立ち位置で、他企業のエンタメ業のお手伝いさせていただくこともありますね。


 あと、『元アイドル』という経験を持つ女性を支援したいと考えている方は、沢山いて。そういった企業と元アイドルの女性たちのニーズがマッチングするようリクルーティングに携わることも。


インフルエンサー事業のご相談もいただくので、案件によって人と人をお繋ぎすることもありますね。


ひとくちに元アイドルといっても、今後も芸能の仕事続けたい子もいれば、就職したいっていう子もいます。それぞれの希望に合わせて、業務を紹介していくことが多いです」


■今後の野望

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今度、どのようなことに挑戦していきたい?

「『もっとこうしたら良いアイドル業界が作れるのではないか?』という提案を、世の中に広めていくことにチャレンジしたいですね。


自分自身が業界にいたからこそ感じるのですが、アイドルを辞めた後に今後の人生に迷う女性って多いと思うんです。


私と同年代の20代の子の中にも、このままアイドルを続けるべきか、芸能界を辞めたほうがいいか悩んでいる子も多くて…。


そういう子たちの不安を消していけるような存在になりたいです。また、現役アイドルの子たちにも、安心して今の活動に取り組めるシステムを作っていきたいですね。


自分の将来に不安ばかり感じていたら、仕事に影響しちゃうじゃないですか。それではステージ上で良いパフォーマンスができないと思うんですよね。


今は、アイドルいう職業に安心して全力を注いで、じゃあ、何歳になったら、次はこの道で行こうっていうのが決まっていれば、心配なく今の仕事に取り組めると思うので。


とくに若い頃から芸能活動をしていれば就職の仕方も知らないし、どんな会社があるのか知らない子も多い。


そういう時、私が仕事を紹介できる選択肢を持っていれば、現役アイドルの子たちも、アイドルを卒業していった子たちも、もっと良い環境でいられるのかなって。この夏、また新しいプロジェクトが始動するので、ぜひお楽しみに!」


野望を語る22歳の瞳は、これまでの経験がすべて糧になっていることを物語っていた。アイドルプロデューサー・伊藤祐奈の今後の活躍に期待したい。

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(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部

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