「月経関連疾患をライフワークに」 教育制度改革に挑む宮川典子政務官に聞く
英語教師から松下政経塾を経て、30歳のときに初立候補。
トレードマークにもなっている黄色のジャケットのような、元気な笑顔が弾ける。宮川典子衆院議員は、山梨県出身の39歳。母校の英語教師として5年間勤めた後、松下政経塾を卒業。
初出馬した参院選では苦杯をなめたものの、衆院選に転出して連続3期当選。今は、文部科学政務官を務めている。
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■「なりたくない」と思っていた職業に
宮川さんは、なぜ政治家を志したのか。聞いてみると、意外な答えが…
宮川:じつは、「この仕事だけには就きたくない」と思っていたのが、教師と政治家だったんです。祖父が教育長をやったり、母も高校の英語教師だったり従兄弟も弟も教師ですが、小学生の時に選挙がらみで担任の先生からいじめを受けまして。
山梨県は、教職員組合の活動が強い地域で、その先生も組合で政治活動をされていたようです。子供ながらに、「政治家と教師だけは嘘つきだ」と感じていたんです。
慶應義塾大学文学部に進んだ宮川さん。ところが、大学で教職課程を履修したことで、思わぬ人生の歯車が回り始める。
宮川:大学で「母親も持っているし」と思って教職免許を取ったら、母校から「免許を取ったなら、母校に恩返しを」というお誘いをいただき、「1年でもいいから行ってみるか」と思ったら5年間、中高で英語教師をやることになりました。
しかし、その5年の間に、2人の生徒を自殺で亡くしているんです。教科を担当していた子と亡くなる3ヶ月前まで担任を受け持っていたクラスの生徒でした。
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■子供たちが希望を持てない社会に疑問
宮川さんは、亡くなった生徒が残した遺書とそれに対する生徒たちの反応から、大きなショックを受けたと語る。
宮川:一人の遺書には、「世の中が真っ暗に見える。どんなに頑張っても報われない社会だ」と書いてありました。
教頭先生が生徒たちに遺書を読んでくださったのですが、教室に戻ってきた生徒たちに「あのお手紙に書かれていたことの意味がわかる?」と聞くと、生徒たちは「わかる。共感できる」と答えました。
「こんな希望を持てない世の中じゃダメだ」と、強く感じました。子供たちが言っていたことが、私の学校だけのことなのか、全国にあるムードなのか、実地を見てみたくなったんです。そこで、松下政経塾に入塾しました。
松下政経塾といえば、数々の政治家を輩出しているが、宮川さんの夢は「学校をつくること」だったという。
宮川:「政治家になりたかったんじゃないか」とよく言われますが、まったくそうではありませんでした。「一時的に立ち止まってしまった自分を再生できるような、子供たちのための新しい学校をつくりたい」というのが目標でした。これまでの日本にはない、多種多様な学びがあるような学校です。
松下政経塾では、さまざまな場所に研修に行きました。ところが、必ず制度や行政の壁にぶつかる。現状が子供たちのニーズを受け止められていない教育体制なのに、「これが一番正しい」と思っている大人たちがたくさんいるのです。
半分、怒りのような思いがあって、「誰かが風穴を開けてくれないかな」と考えていました。