平成の御代を振り返る 玉城デニー知事に聞く「陛下は沖縄に寄り添われた」
11回も沖縄を訪れ、祈り続けた天皇陛下。玉城デニー沖縄県知事に、平成の御代と天皇陛下の歩みについて聞いた。
平成の御代もあと、2ヶ月で終わる。平成という時代はどういう時代だったのか、「日本国民統合の象徴」として平成を歩まれた今上天皇をどう見るのか? 諸々の知識人・政治家にインタビューしていく。第3回目は玉城デニー・沖縄県知事だ。
■天皇陛下による沖縄への祈り
今上陛下が忘れずに祈る日が4つある。6月23日の沖縄終結の日、8月6日の広島原爆投下の日、8月9日の長崎原爆投下の日、8月15日の敗戦の日だ。
天皇・皇后両陛下が沖縄を訪問したのは11回。1975年に昭和天皇の名代として初めて沖縄を訪れるにあたり、明仁皇太子殿下(当時)は、周囲にこう語ったという。
「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民の中に入っていきたい」
「何が起きても受けます」
実際に事件は起きた。皇太子・皇太子妃がひめゆりの塔を訪れたときには、ガマに隠れた新左翼の過激派から火炎瓶を投げつけられる大事件が起きた。しかし、それでもスケジュールを一切変えることなく、お二人は慰霊の旅を最後まで続けられた。
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■天皇陛下の琉歌に皇后さまが作曲
国立劇場で2月24日に開かれた政府主催の天皇陛下在位30年記念式典では沖縄県出身の歌手、三浦大知が1975年の沖縄訪問を機に陛下が詠んだ琉歌に皇后さまが曲を付けた「歌声の響」を独唱。両陛下は何度も拍手を送られた。
今上陛下は独学で琉歌を読めるようになった。それほど沖縄に寄り添われたのだ。さて、私は玉城デニー・沖縄県知事に、日本外国特派員協会の会見で、今上陛下の「象徴としての歩み」をどう思われるか、以下の2点について質問した。
「天皇陛下の即位30周年記念の式典は、大変沖縄に配慮された式典だったが、どのような感想を持ったか」
「もうすぐ平成の御世も終わるが、11回沖縄を訪問され、沖縄に寄り添ってこられた今上陛下の30年の歩みをどのように感じているか」
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■「沖縄の心」と近く感じる
玉城デニー知事は次のように応えた。
「いわゆる日本の天皇制に対して、去る第二次大戦で多大な被害を受けた沖縄県民の中には、天皇制そのものにいろいろな考え方を持っていらっしゃる方がいるのは事実です。
その中で個人的な意見を申し上げるのであれば、今上天皇陛下、皇后陛下のお2方の沖縄への寄り添いは、うちなーんちゅのちむぐくる(心・精神の意味)と非常に近い位置にいらっしゃると思います。Warming heart、ちむぐくるね。
その人間的な思いを陛下はご自身の行動に移すことで、11回も沖縄に訪れ、沖縄の言葉を習って、30音で作られる沖縄の歌を詠み、こよなく沖縄県民に心を寄せて、その沖縄の良さも切なさも悲しみも喜びも、自分たちもしっかり胸に収めようと努力なさったと思っています。ありがとうございます」
玉城知事は最後に今上陛下に感謝を述べられた。
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(取材・文/France10・及川健二)