「白州の水を体現する」 今注目の日本酒『七賢』の改革と挑戦に迫る

日本酒好きに知られる名酒「七賢」は、甲斐駒ケ岳の伏流水で醸す唯一の酒蔵だ。

グルメ

2019/08/23 12:00

北原亮庫さん

華やかな香りと、さわやかな口当たり。「日本名水100選」にも選ばれた甲斐駒ケ岳の伏流水で醸した名酒「七賢」で知られる山梨銘醸は、南アルプスの甲斐駒ケ岳の麓にある白州町(山梨県北杜市)に蔵を構える。

その「七賢」が、今年4月、ロンドンで開催されたワインコンペ「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2019(以下IWC)【SAKE部門】」において、純米大吟醸部門では「七賢 絹の味」、純米酒部門では「七賢 風凛美山」がゴールドメダルを獲得した。

翌5月には、フランスで開催された日本酒品評会「Kura Master2019」にて、スパークリング日本酒「七賢 星ノ輝」、純米「七賢 風凛美山」がプラチナ賞を受賞し、純米大吟醸「七賢 大中屋」が金賞と大きな注目を集めた。

この数年、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの「七賢」だが、その成功の裏には、5年前から「七賢」の大改革を進めた35歳の若き醸造責任者(専務)北原亮庫さんの並々ならぬ情熱があった。


 

■山梨銘醸と白州の出会い

山梨銘醸

初代蔵元である北原伊兵衛(屋号は中屋)が、柔らかく透明感のある「白州の水」に惚れ込み、寛延3年(1750年)に、白州町台ヶ原の地で酒造業を興したのが始まりである。

その初代が惚れ込んだ仕込み水となるのは甲斐駒ケ岳の伏流水だ。標高2,900mに降り注ぐ雪解け水が、長い年月をかけて花崗岩に磨かれることで誕生する。瑞々しく清らかな水であり、創業から270年あまり「七賢」に寄り添ってきた。

現在、山梨銘醸で醸造責任者を務める亮庫さんは、1984年に北原家の12代当主の次男として生まれた。小さいころは、同郷出身である元日本代表MFの中田英寿に憧れ、プロを目指しサッカーに打ち込む少年だったという。

サッカー推薦の話や、いつくかの大学が候補として挙がる中で、亮庫さんは東京農業大学の醸造学科に進学した。しかし、当初は、1つ上に兄の北原対馬氏(現、社長)がいたため、家業を継ぐつもりは全くなかったという。


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■託された父の想い

そんな、亮庫さんに転機が訪れたのは、20歳の時。父親で社長の北原兵庫氏(現、会長)から、突然の電話が入り「酒造り・ものづくりの分野を見てもらいたい」と声をかけられたことがきっかけであった。

これまでの山梨銘醸は、酒を仕込む時期に新潟を発祥地とする代表的な杜氏集団「越後杜氏」を期間雇用し、蔵人とともに酒造りを行っていた。

しかし、杜氏集団の高齢化が進み継承者が減少したため、地元の白州で採用した社員杜氏へと徐々に引き継いだが、蔵元が直接酒造りに関与することはなかったという。

父から亮庫さんに託されたのは、蔵元が酒造りに加わるための基盤となる重要な役割であり責任ある仕事。二つ返事はできなかったという。

北原(亮):今まで、継いでほしいと言われたことがなかったので、すぐに返事ができませんでした。色々考えた末、 やるからには、ただ「継ぐ」のではなく、常に上を目指して極めたい…そう意気込んで決心しました。


実は、この話を耳にする前から、月に1ケース(4合瓶12本)ほど、仕送りとして七賢のお酒が送られ、父親から「飲んで味を覚えろ」と言われていました。後から知った話ですが、兄にはその経験がなかったそうです。


あまり多くを語らない父なので真意はわかりませんが、「経営は長男に、次男である私には醸造責任者を任せたい」という、父の願いが込められていたのかもしれません。

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■「七賢」の名を広めたい

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