自民・宮川典子衆院議員が死去 熱く語ったPMS・教育改革への思い
文部大臣政務官を務めた宮川典子衆院議員が乳がんのため、12日に都内の病院で亡くなった。
自民党衆議院議員だった宮川典子さんが、12日夜、東京都内の病院で乳がんのため死去した。40歳だった。宮川さんは、山梨県山梨市の出身。2010年の参院選(山梨選挙区)で惜敗した後、衆院に鞍替えして比例南関東ブロックで当選3回。
母校の英語教師だった知見を活かして、文部科学大臣政務官も務めていた。
■教師から政治の道へ
宮川さんは、祖父が教育長、母や弟、従兄弟も教師を務める教育一家。慶應義塾大学文学部で教職課程を履修し、母校である山梨学院大学付属中学高等学校で、5年間英語教師を務めた。
昨年行ったしらべぇの単独インタビューで、宮川さんは子供の頃に絶対になりたくなかった職業として「教師と政治家」を挙げていた。小学生の頃、組合がらみで政治活動をしていた教師からいじめを受けたことがトラウマだったという。
しかし、在職中に2人の生徒の自殺を経験したことで、「子供が希望を持てない社会ではダメだ」と考えて教師を退職。松下政経塾に入塾し、政治の道に進むことになる。
関連記事:宮川大輔、大病を患っていた過去 「たまらない思いだった」
■「保守は体制を守ることではない」
筆者は、編集長として直接宮川さんの話を聞いた。その中でも最も印象に残っている言葉は、「保守」という政治姿勢への考え方だった。
「私は自民党の議員ですが、保守とは『体制を守ること』だとは考えていません。守るべきものは守り、変えるべきものは勇気をもって変えていく。それが真の保守だと考えています」
文科政務官という、まさに教育行政の中核に在職していた当時にもかかわらず、「本当に6-3-3-4制を守らないといけないのか、私の中ではずっと疑問です」「『◯歳で学校を卒業したか』などというものは、人の能力を図る尺度として信用に値しません。これは、生徒たちが彼らの生き方で実証してくれたことです」など、進歩的な見解を述べたことについて質問した回答が、上記の言葉だった。