元読者モデル・水原乙がグラビアで魅せる 足立区で培った「雑草魂」とは
新人グラドル・水原乙にグラビアにかける思いを聞いてきた。
■デビュー当時は悩みも
今でこそ前向きにグラビア向き合えているものの、デビュー当時はそうもいかなかったと語る。
水原:グラビアをやり始めた時って、私のリアルな友達とかインスタグラムのファンが去っちゃったんですよ…読者モデルとして「服を着ている私」が、好きだったみたいで。
なので当初は若干葛藤があったんです、「グラビアってそんなに軽視されるものでもないのに」って。いまだに「乙ちゃんは洋服着ているほうがいい」って言われたりしますけど、だからこそ、少しでもグラビアでも認められたいなって思います。
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■「足立区ってサバンナみたい」
話していると、彼女の芯の強さを感じるシーンが度々あった。それについて触れると、「足立区出身ということが関係しているかも」とつぶやく。奇しくも記者も足立区で10年以上暮らしていたため話は盛り上がる。
水原:大人になって社会に出てから知ったんです、足立区がいかに異端な場所であったかを。当時はそれが普通だと思って生きてきているから…(笑)。
幼少期の頃は、友達と公園に行くと、普通にタイマンしているお兄ちゃんたちが常にいて、手洗い場のところで血を洗い流していたりとか…。変なおじさんとかもよくいたなぁ…。
———確かに、場所によってはあるあるですね(笑)。そんな環境がいまの性格に作用していたりしますか。
水原:ですね(笑)。足立区で生まれてよかったって言うのは、危機管理能力が自然と備わるところ。そうしないと生きていけないみたいなところがあって…ってこれなんかサバンナみたいですね(笑)。
でも、芸能界とかグラビアの賞レースとかって根性が必要だと思うんです。そういった「雑草魂」「足立区根性」を武器に進んで生きたいですね。
———失礼に当たったらすみません。元ヤンキーだったりしますか?
水原:それすっごい言われるので大丈夫です(笑)。進学予定の中学校がすっごい荒れてて、窓ガラスは割れている、机や椅子が校庭に落ちているみたいな場所だったんです。
なので、小6の時に「引っ越し組」「私立に行く組」「残る組」に別れて、親が心配して引っ越し組になったんです。だからヤンキーにはならなかったけど。埼玉の田舎のヤンキーしかいないところに引っ越したので「親のチョイスー!」って思いましたけど(笑)。
■「アイコンになれるように」
数々の葛藤を超え、ついに念願のファーストDVD『おとめぼれ』を10月23日にリリースする。
水原:自分で言うのもなんなんですけど、私子供っぽい一面があって。作品では、その子供っぽい一面と大人な一面のどちらも楽しむことができる感じに仕上がっているかなと。
DVDを出したいって言うのがグラビアを始めて一番の夢だったので、それを達成できているって言う嬉しさしかなかった。ただ、こういったかわいい系もいいけど、今後はセクシー路線に行きたいですね。
———そっちの路線も楽しみです。では、最後に今後のグラビア活動への意気込みをお願いします!
水原:DVDをセカンド、サードってどんどん出して行って、写真集とかも出していきたい。とにかく知名度を上げて、水原乙って名前がグラビアでのアイコンになれるように頑張っていきたいと思います!
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