国民的に愛された志村けんさん なぜその芸風は「家族を宿す」のか

新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなられた志村けんさんがなぜ国民的に愛されたのかをその生涯を通して振り返る。

2020/04/04 11:30


 

■師匠・いかりや長介さん

そのようなイメージは、ドリフのリーダーであるいかりや長介さんとの関係も大きいだろう。志村さんがいかりやさんに弟子入りするとき、志村さんはいかりやさんの家の前で雪の中12時間も帰宅を待ち続けたという。

志村さんの笑いへの志、ひたむきさ、真面目さが伝わるエピソードだ。その笑いは、いかりやさんが創造したドリフの笑いを受け継いでいくような笑いであった。

志村さんはそのようなコントにこだわり続け、それもまた志村さんの真面目さとまた同時に不器用さも表していただろう。


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■父の姿を追い求めた

志村さんが考案したコントの中には、通称「シリアス無言劇」と呼ばれる悲しい物語が長時間にわたり演じられるものがあった。オカリナ奏者・宗次郎による『悲しみの果て』をBGMとして流し、BGM以外の音が聞こえない状況で家族の死をテーマにしたのだ。

志村さんが泣かせることを考えた結果、家族の死をテーマにするのは印象的だ。志村さんの父親が若くして亡くなっていることも影響していると思われる。

志村さんは『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系列)で、いかりやさんに対し「父親代わりの人を常に求めていたかもしれない」とコメントしているのだ。


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■国民を家族にした志村さん

国民が志村さんを国民の末っ子とみなしながら、志村さんに感情移入しつつ、国民が童心に返り父親を求めていた。

それがドリフターズや志村さんと国民との関係だったのではないだろうか。志村さんを通して家父長制家族を思わせる、よくも悪くも志村さんは昭和の芸人であったのだ。

家族の末っ子として家族を愛し、未婚ながらも父のように女性を慈しんだ志村さん。志村さんが望むのは千鳥大悟も含め志村ファミリーが国民から愛されることであり、志村さんのためにこの家族を叩くような本末転倒は望んではいないだろう。

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(文/メディア評論家・宮室 信洋

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