世紀の冤罪・袴田事件 再審を求めて袴田巌さんの姉・秀子さんが特派員協会で会見

1966年に起きた事件で一貫して無罪を主張しながら死刑判決を受け、48年間拘禁された袴田巌さん。姉・秀子さんが再審を求めて記者会見した。

2021/04/20 08:25

袴田秀子

日本に赴任する欧米諸国の大使で知らない人はいない。それほど知られた冤罪が袴田事件だ。19日、日本外国特派員協会で、元プロボクサー袴田巌氏の姉の袴田秀子氏、弁護団長の西嶋勝彦弁護士、弁護団事務局長の小川秀世弁護士が袴田津件について会見を開いた。


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■1966年の「袴田事件」

事件を振り返ろう。1966年6月30日午前1時30分頃、静岡県清水市横砂(現静岡市清水区横砂東町)の味噌製造会社(通称こがね味噌)専務宅で火災が発生し、ほぼ全焼した家屋の中から専務(41)とその妻(39)・次女(17)・長男(14)の4人の焼死体が発見された。

実況見分などの結果、死体には鋭利な刃物によると思われる多数の刺傷があり、焼け残った着衣などにガソリン臭があったほか、会社の売上金が入った布小袋が持ち出された疑いがあったため、警察は強盗殺人・放火事件として直ちに捜査本部を設置した。


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■当初から無実を主張

逮捕されたのが、現場のすぐ裏側にあった味噌製造工場2階の従業員寮に住み込んで働いていた元プロボクサー・袴田巌さん(当時30)。

ほぼ丸一日という長時間にわたる過酷で人権無視の取り調べで袴田さんは犯行を自白し、調書がとられたが、裁判では一貫して、無罪を主張した。しかし、一審、二審で死刑判決が下され、1980年、最高裁で刑が確定した。

しかし、弁護団による2度の再審請求などを経て、2014年3月27日、静岡地方裁判所が再審開始と死刑及び拘置の執行停止を決定、東京拘置所から釈放された。

後に東京高裁が再審を取り消したが、最高裁が判決を東京高裁に差し戻し、今、袴田さんは再審を待っている。拘置所・獄中にいたのがほぼ半世紀の48年。まさに血のにじむような戦いだった。

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■長く面会謝絶
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